「あけりちゃん、ほら。今週もいはるわ。聡(さとる)くん。」

車を運転しながら、濱口猛志は助手席に座る妻の連れ子に話しかけた。

すぐ前の車道の端を、シンプルなピストレーサーが水しぶきをあげながら走っている。

濱口あけりは、外気との温度差でくもっていた白い窓ガラスを手でこすってから、ひたいのくっつくぐらい近づいて凝視した。

ヘルメットとゴーグルで顔はほとんど見えないが、赤いフレーム、赤いグローブ、赤いシューズカバー……間違いない。

同じ小学校、同じ塾に通っていた東口聡だ。

「ほんまや。……びしょぬれ。ますます牛蒡みたい……。」

あけりの言葉に継父は、カラカラと笑った。

「ほんまになあ。昔は青っちろい、丸眼鏡のぼんぼんやったのになあ……すっかり真っ黒の細マッチョやな。」

継父の言う通り、聡は、どちらか言うとむっちりとした色白の少年だった。

だから、最初のうちは気づかなかった……。

派手なピストで、あけりの乗る車を軽快に走り抜いて行く男子が、あの、聡だとは。




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濱口あけりは、自転車が好きだ。

正確には、現在は、自転車レースを観ることが好きだ。

……本当は、あけりも自転車に乗りたいが、2年前に肺疾患が見つかって以来、自転車を完全に禁止された。

継父の剛志は、あけりが乗りたいなら少しぐらいは……と、応援してくれた。

しかし、もともとあけりから自転車を取り上げたかった母のあいりにとって、肺疾患は都合のいい理由となった。

「観ることまで止めへんけど、乗るのはやめて。……危険なんは、あんたもわかってるやろ?」


もちろん、よくわかっている。

あけりはかつて、今の聡より派手な色のピストレーサーを組んでもらって、乗っていた。

競技会に出たこともある。

落車すれば、酷い擦過傷もできる。

骨折も日常茶飯事の世界だ。


……それでも、あけりは自転車競技、それもトラックで着を争うレースが大好きだ。