開けたドアの中に引っ張り込まれて、伊月君の動きが止まった。
脚はやっぱりふらふらするので、閉じたドアに身をもたせかかる。
どこからか漏れる薄明かりで伊月君の輪郭はわかるものの、正面にいるのに顔はまったく見えない。
「・・・持ち帰りました」
黒い影が伊月君の声でそう言った。
あの落ち着いてやわらかくて不思議と響く声で。
「うん、そうだね」
伊月君は何がしたいんだろう?
私の挑発に乗って、「持ち帰った」という事実を誇示したいだけなんだろうか?
「悪いけど、大人の世界だとこれだけでは不十分だよ」
私は何がしたいんだろう?
伊月君を挑発してここまでついてきて、さらに挑発を重ねている。
欲求不満?
もう数年彼氏はいないから、自覚はないけど否定はできない。
だけど違う。
私は伊月君に女として見られたかったんだ。
例え一時でも。
「咲里亜さんはいいんですか?」
私はいい。
伊月君が好きだから、そこに迷いはない。
でもこの関係の先は見えない。
狭い玄関の暗闇よりも真っ暗だ。
「タクシー呼びますね」
私の沈黙を拒否と受け取った伊月君が手探りで携帯を取り出した。
携帯の液晶画面がやたらとまぶしく光って彼の顔を照らす。
私は反射的にその光る画面を手で覆った。
「帰らない」
ぼんやりとした液晶の光の中で、呼吸の音も聞こえるほど近くに伊月君がいる。
心臓のドキドキを自覚できないくらい、頭の中もクラクラしていた。
ほどなく私と伊月君の手の中で携帯の明かりがフッと消えた。
一度明かりを見てしまったせいでさっきよりも濃い闇に包まれる。
闇と伊月君の境がない中で、彼の気配だけがどんどん濃くなっていく。
もう全身が伊月君に包まれているような錯覚に陥った。
開けても閉じても変わらないので私がそっと目を閉じると、それがわかっていたように唇がやわらかく包まれた。
暗いせいで少し目測を誤ったキス。
それで私の最後の躊躇いは、電池が切れたようにフツリと消えた。



