顔を上げると、彼の方からはいつもと同じ石鹸の香りがした。


”さようなら”


そう言って、彼が立ち上がる。

家から抱えてきたダンボールと、中に敷き詰められたお気に入りのタオル、それから彼に貰った首輪を外されたボクが、その足元に残される。

大きくてゴツゴツした手の平が、名残惜しそうにボクの頭を撫でて、そして温かい手の平が離れていく。

ここにボクを残したまま、振り返らない背中は離れていく。

一度だけ、彼に向かってわん!と大きく呼びかけた。

いってらっしゃい。

ボクはここで、キミが迎えに来るのをずっと待っているから。

ボクの言葉は彼には伝わらないけれど、精一杯の呼び声に、彼の足がピタリと止まる。

彼は振り返らなかったし、ボクも追いかけたりしなかった。

やがて俯いた彼が走り出す。

満開の桜の木の下に、ボクを残して……。