スウィングしなけりゃときめかない!―教師なワタシと身勝手ホゴシャ―



聞き上手な俊くんが、感心した顔であいづちを打った。


「なぎちゃんって、すごいな」


「すごいって何が?」


「子どもの名前の呼び方ひとつにも、きちんと気を配ってるんだな、と思って」


「小学校の先生だったら、みんな考えてるテーマだよ。まあ、何にしても、わたしはわたしのルールを作ってあって、それを4の2ルールとしてクラスでも公表してるわけ。それに対して、らみちゃんの『なぜ?』が始まっちゃって」


なぜ授業中と休み時間で呼び方を分けるのか?

それは、公私の区別を付ける練習にもなるから。


なぜ公私の区別を付けなければならないのか?

たくさんの人の前での振る舞いと家の中での振る舞いを、大人になるにつれて、分ける必要があるから。


なぜそれを分ける必要があるのか?

大人の社会では礼儀正しくしなければならないけど、家ではくつろいでかまわないから。


なぜ礼儀正しいときは苗字で呼ぶのか?

なぜ名前で呼んではならないのか?

なぜ英語のときは外で大人から名前で呼ばれるのに、日本語ではダメだと言われるのか?

なぜ、なぜ、なぜ?


「その全部にきちんと答えなきゃいけないの。社会ではそういうものなんだ、っていう答え方じゃ納得してくれない。らみちゃんの知りたがりの虫に火が点いたら、ほかのことで気をそらすこともできないし」