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「失望しないで聞いてほしい。実は、ぼくは今、ずいぶんと愚かな状況に陥っているんだ」
条件反射的にベネズエラを注文したわたしの前で、加納は眉をひそめて、苦悩の表情を浮かべてみせた。
年齢を重ねた今、以前よりも頬やあごの線に太さが増して、ギリシャ彫刻みたいな容貌に精悍さが加わっている。
苦悩の表情は、絵に描いたように似合っていた。
前置きを口にしたきり、加納は黙り込んだ。
わたしのコーヒーが運ばれてくるのを待っているんだろう。
話を中断されるのが嫌いな加納は、語り始めるタイミングを注意深く選ぶ。
それと、沈黙を埋めるBGMが好みの店も、加納にとって重要だ。
エンパヰヤは、ジャズ。
ピアノだけで演奏される、加納には弾けてわたしには弾けない、高尚な音楽。
観葉植物で巧妙に隠されたスピーカーから、物憂いリズムと小難しいフレーズが流れている。
メロディラインも和音の構成もアクセントの付け方も、クラシックとは違って予測不能で、気位が高いように感じてしまう。
変だな。
ウォーターサイド・ジャズ・オーケストラのジャズは、同じく予測不能だったけど、もっとずっと気さくだった。
奇をてらうのは、子どもが楽しいいたずらを仕掛けるみたいで、わたしは驚かされてわくわくした。
今は少しもわくわくしていない。
音楽の形をした難しい芸術が、わたしの両耳の間をすり抜けていく。



