でも。
楽しい時間なんてあっという間で。
夕方が近づいて、私は家のことを思い出していた。
「そろそろ珠紀は帰らないとだよね?」
「……うん」
「……珠紀?」
……嫌だな。
帰りたくない。
父のところに、行きたくない。
「……帰りたく…ない…」
「……は?」
今逃げたらきっと。
もう二度と彼と会えなくなる。
けど。
蓮巳くんに迷惑はかけられない。
「………どした?」
私の顔をのぞき込む蓮巳くんは、明らかに戸惑っていた。
「……ごめん、なんでもないや!!じ、じゃあね、蓮巳くん!また…」
「珠紀」
彼の視線から逃れようと慌てていると、手を掴まれた。
「…どしたの」
ごめんね、ごめん。
「、なんでもないよ」
ホントはこんなとこ見せたくないのに。
気持ちとは裏腹に、表情も、動きも、雰囲気も、何一つ思い通りにならない。
「なんでもなくない」
蓮巳くんが、私の手を引き寄せ、私は彼と顔を突き合わせた状態になる。
「なんでもない人が、そんな顔しない」
じっと見つめられると、なんだか涙が出そうになってしまう。
「……言ったら、迷惑になるもの」
絞り出した答えは、 弱々しく震えていた。
「大丈夫だから」
よしよし、と蓮巳くんが頭を撫でてくれる。
それはとても心地よい暖かさだった。
だから。
「………言え、ない」
言ったらきっと、貴方は。
私から離れていってしまうでしょう?
頭を撫でていた彼の手が止まり、ゆっくりと下ろされる。
「…俺がそんなに信用ならないの」
俯いていた頭上から、低い声が聞こえた。
「っえ、 違う……!」
蓮巳くんは、明らかに悲しそうな、それでいて怒っているような顔をしていた。
「じゃあなんで」
違うの、違うんだよ。
「俺には何も話してくんないの」
違うの、蓮巳くん。
私は。
心の中では多くの言葉が雑乱と入り乱れているのに、何一つとして言葉になって出てこない。
「…珠紀、俺になんか隠してるだろ」
「っ」
…………嫌。
やめて。
気づかないで。
「家族のことも、どこに住んでんのかも、俺…考えてみたら珠紀のこと知らなすぎる」
それは。
私が、言わなかったから。
言えなかったから。
「…なんで隠すの」
「……き、嫌われたく、ないから…」
やっとのことで音にした言葉は。
「……それ、俺を信用してないってことだろ」
彼をもっと苦しめてしまった。



