8月、最後の土曜日。
その日はとてもよく晴れていた。
場所取りのために早めに会場へ来ていた僕達は交代で落ちていく太陽に焼かれていた。
日が暮れて、周りがヒトで埋まり始めた頃、休憩で抜けていたミツさんが浴衣のオンナの子を連れてきた。
「椋木先輩。お疲れ様です」
「え? あ、渡来さん? お疲れ様」
現れたのはバーベキューに一緒に行った学部の後輩の渡来和紗《わたらいかずさ》とユウキとマイだった。
三人ともかわいらしい浴衣を着ていた。
「椋木先輩、どうですか? この浴衣、昨日買ってきたんです。かわいくないですか?」
中でも和紗は淡いピンク色の浴衣で大きな花柄の模様が映えていた。
「あぁ、そうだね。かわいい。よく似合ってる」
彼女達も栄川先生のゼミに入ることを決めたらしく時々アドバイスや話をするようになっていた。
「もっと和紗のこと褒めてくださいよ。せっかく椋木先輩のために浴衣着てきたんですから」
そう言って和紗はコンビニで買ってきた飲み物を渡してくれた。
「渡来さん達も偶然見に来たの?」
「いや昨日さ、花火大会行くって話したら連れてけって頼まれちゃってよ」
「そういうことなんで私達もご一緒しますね。よろしくです」
ミツさんに続いて和紗は言うと僕の隣に座った。
「あー、いたいた!」
と今度はメロスに連れられて浴衣姿の鹿山さん達がやってきた。
「あ、梨世先輩。お先してます」
「げっ。何でアンタがいるのよ?」
「ミツさんに誘ってもらったんです」
驚いて素になっている鹿山さんの後ろでカニクリが頭を抱えている。
「みんなで花火楽しみましょうよ。ねー、椋木先輩」
和紗は梨世に言ってから僕の腕に手を回してくる。
「やめなよ。僕、汗かいててベタベタするよ」
「汗はみんなかきますよ。それにちゃんとボディペーパー買ってきましたよ」
今度は朋弥が狙われてるんだな、と言っているメロスの隣で、
「梨世ちゃん、あの子が前に言ってた子? 面白い子だね」
とのん気にイズちゃんが笑っていた。
満月に近い月が東の空に昇り始めた頃、花火大会は盛大に始まった。
体の奥にまで響く音と色とりどりの光の中で、僕達は歓声を上げたり拍手をしたりしていた。
「———先輩! 椋木先輩!」
花火の音にかき消されながら何とか届いた隣の和紗の声は僕にだけ聞こえていた。
「先輩。ちょっとお願いが」
近付いて和紗が耳元で言った。
「どうした?」
僕の問いに和紗は再び耳元に口を近付けた。
「トイレに行きたいです」
彼女は顔を離すと僕の目を見て照れ笑いを隠そうとうつむいた。
「わかった。行くよ」
僕が立ち上がると和紗は見上げて手を出した。
僕はその手を取って引っ張り起こすと、目が合ったミツさんにトイレと短く告げて和紗と歩き始めた。
道もヒトで埋め尽くされていて、下駄でふらふらと進む和紗の歩く速度がちょうどよかった。
「先輩、速いよ」
それでも歩くのが遅い和紗がつまずいて僕の腕にしがみつく。
「先輩。腕組んでもいいですか?」
息がかかるほどの距離で和紗が僕を見つめる。
「歩きづらくない?」
「全然。先輩に置いてかれるよりマシです」
和紗はそう言って笑った。
「先輩って普段は優しいっていうか優しすぎるのに、こういう時は素っ気ないっていうかオトコっぽいですよね」
「それって褒めてる?」
「褒めてるって言うか、そういうの好きですよ。先輩」
和紗は僕の腕に腕をからませると、
「和紗は、先輩のこと好きなんですよ」
と、何でもないようなニュアンスで言いながら和紗は僕を見ていた。
「それはどうも」
「ほら素っ気ない。今の、———告白ですよ」
「………え?」
驚いてもう一度和紗を見ると、笑顔だった。
「先輩、カノジョと別れたって聞いてチャンスだと思ったんです」
僕らはゆっくりと歩いていた。
「先輩の返事、聞かせてください」
僕の腕を強くつかむ和紗はうつむいている。
「渡来さん、あのさ———」
ヒトと花火と夜の闇の中で、見上げた和紗の黒い瞳がキラキラしていた。
「———椋木くん!」
その声が聞こえた瞬間、ほとんど反射的に振り向いた勢いで和紗から腕を振りほどいた。
「鹿山さん。どうしたの?」
人波をかき分けて小走りで来た鹿山さんに僕は尋ねた。
「私もトイレ!」
勢い余って僕の服の袖をつかんで止まる鹿山さんは呼吸を整えると、
「迷子になるから私も連れてって」
と言った。
「梨世先輩、下駄で走ったら危ないですよ」
鹿山さんを心配してか和紗はそう言うと僕の手を引いて歩き出した。
「心配してくれてありがとう。でも私、転んだりしないから」
鹿山さんは僕を挟んで和紗の反対側を歩く。
彼女は僕の袖をずっとつかんでいた。
「ちょっとくらいよろけたほうが守りたくなるんですよ」
「私はアナタみたいに恋愛をゲームみたいにしてませんから」
「ゲームなんてしてません。和紗はいつだってマジなんです」
二人が僕の左右で言い争っている間にやっとトイレに着いた。
「じゃあ、椋木先輩。待っててくださいね」
立ち止まった僕から離れて和紗はトイレ待ちの列に並ぶ。
「梨世先輩、並ばないんですか?」
「あとで並ぶよ。ちょっと飲み物買ってくるね。椋木くん、行こ」
僕の返事も待たずに鹿山さんは僕の手を引いて人込みを縫うように歩いていく。
「ちょっと梨世先輩!」
背中に聞こえる和紗の声が花火と雑踏にかき消される。
「鹿山さん、トイレは大丈夫?」
「うん。平気」
「えっと、何買う?」
トイレからそんなに遠くない屋台で僕達は足を止めた。
「冷たい飲み物。それと、———椋木くん最近モテ期じゃない?」
彼女は屋台のお兄さんからスポーツドリンクを人数分買うと、その重そうなビニール袋を受け取る。
「持つよ。別に、モテ期なんかじゃないよ」
僕達は視線を合わせることなく飲み物を買うと、周りの歓声に反応して夜空を見上げた。
「そうかな。———カニクリが、告白みたいなこと言っちゃったって」
「聞いたんだ?」
「自分で言い出したんだよ。そんなつもりじゃなかったって」
「うん。それはわかってる」
「それに、和紗にもアピールされてるし」
「それは、………予想外だったけど」
続けて何発も打ち上がる花火の音に遮《さえぎ》られて僕達は距離を近付ける。
「ほらモテ期じゃん。もう和紗と付き合っちゃえば?」
もっと君の声が聞きたくて。
「それは打算的すぎだよ。いくら何でも———」
音と歓声にかき消される僕の話を聞いてほしくて。
「そうだね。さっき渡来さんに告白されたからオッケーするよ」
僕は心にもない嘘をつく。
「………え? マジで?」
彼女の驚いた声は僕にだけやっと届く小さな声だった。
「マジだよ。そこはおめでとうじゃないの?」
いつになく近い距離で、
「そう言いたいけど、何か———イヤなの」
「何で?」
「何でも!」
僕から逃げようと走り出す彼女の手を僕は容易《たやす》くつかんだ。
「僕だって鹿山さんが他のオトコといたり、付き合ったりするのはイヤだよ!」
僕に手首をつかまれたまま彼女は振り返り、にらむように僕を見る。
「だったら何で!」
「———君が僕を選ばないからだよ」
彼女はきゅっと下唇《したくちびる》をかんでいた。
「自分で幸せになろうとしないからだよ」
「じゃあ、椋木くんを選んだら私は———幸せになれるの?」
「少なくとも結婚しているヒトと付き合ってるよりは幸せにできるよ」
「………そんなの勝手だよ。椋木くんにはわかんないよ」
「それで君は幸せなの? 自分で自分を幸せにする努力をしない人間は幸せになんかなれないよ」
「わかっててもできないヒトもいるんだよ。好きなのになっちゃいけないって思ってるの」
「どうしてなっちゃいけないのさ。好きになるのも嫌いになるのも本人の自由だろ?」
「それが簡単にできないのが恋なんでしょ! わかってたらこんなに椋木くんのことで悩んだりしないよ!」
「悩んでたの?」
「当たり前じゃん。好きなヒトに自分以外のヒトと仲よくされてうれしいわけないじゃん。———私だけを見てほしいよ」
僕が握る彼女の腕に力がこもる。
「それでも、………私のこと軽蔑してよ。嫌いになってよ。好きになんかならないで」
僕から外された視線の先に、彼女は何を見るのか。
「軽蔑して嫌いになっても、また君を好きになるよ」
その視線の先に何があっても、僕を思ってくれたらそれは幸せだ。
「———私が、君を好きじゃなくても?」
世界は僕を取り残して回っている。
「好きじゃなくても、何度でも」
彼女の瞳に僕が映る。
「君を、好きにならないかもしれないよ」
初めてそんな奇跡が起きた瞬間は、そう思っていた。
「好きになってくれるまで待つよ」
けれど、
「待ち続けておじいちゃんになっちゃうかもよ?」
「そしたら鹿山さんもおばあちゃんだね」
それは奇跡なんかじゃなかった。
「おばあちゃんになるまで私を好きでいてくれるの?」
「もちろん。白髪が生えたって、しわくちゃになったって、ずっと鹿山さんのことが好きだよ」
当たり前にある現実。
「まだしわくちゃじゃないよ」
「そうだね。まだ若いもんね」
「そうだよ。だから、やり直して」
失恋を繰り返す悲しい恋に終わりを告げる。
「わかった。———鹿山さん、大好きだよ。だから、付き合って」
ありふれた言葉。
何の変哲もない会話。
「………ありがとう」
花火で鮮やかに染まる白い肌は、とてもキレイでそれ以外の言葉を見つけられなかった。
「キレイだね」
僕が言うと彼女は空を見上げる。
「うん。キレイ」
力が抜けた彼女の手が僕の手に包まれる。
細くて長い指が僕の指にからまる。
「あ、そろそろ戻らないと。行こ?」
ぎゅっと握られた手を彼女に引かれて僕は歩き出す。
***
その日はとてもよく晴れていた。
場所取りのために早めに会場へ来ていた僕達は交代で落ちていく太陽に焼かれていた。
日が暮れて、周りがヒトで埋まり始めた頃、休憩で抜けていたミツさんが浴衣のオンナの子を連れてきた。
「椋木先輩。お疲れ様です」
「え? あ、渡来さん? お疲れ様」
現れたのはバーベキューに一緒に行った学部の後輩の渡来和紗《わたらいかずさ》とユウキとマイだった。
三人ともかわいらしい浴衣を着ていた。
「椋木先輩、どうですか? この浴衣、昨日買ってきたんです。かわいくないですか?」
中でも和紗は淡いピンク色の浴衣で大きな花柄の模様が映えていた。
「あぁ、そうだね。かわいい。よく似合ってる」
彼女達も栄川先生のゼミに入ることを決めたらしく時々アドバイスや話をするようになっていた。
「もっと和紗のこと褒めてくださいよ。せっかく椋木先輩のために浴衣着てきたんですから」
そう言って和紗はコンビニで買ってきた飲み物を渡してくれた。
「渡来さん達も偶然見に来たの?」
「いや昨日さ、花火大会行くって話したら連れてけって頼まれちゃってよ」
「そういうことなんで私達もご一緒しますね。よろしくです」
ミツさんに続いて和紗は言うと僕の隣に座った。
「あー、いたいた!」
と今度はメロスに連れられて浴衣姿の鹿山さん達がやってきた。
「あ、梨世先輩。お先してます」
「げっ。何でアンタがいるのよ?」
「ミツさんに誘ってもらったんです」
驚いて素になっている鹿山さんの後ろでカニクリが頭を抱えている。
「みんなで花火楽しみましょうよ。ねー、椋木先輩」
和紗は梨世に言ってから僕の腕に手を回してくる。
「やめなよ。僕、汗かいててベタベタするよ」
「汗はみんなかきますよ。それにちゃんとボディペーパー買ってきましたよ」
今度は朋弥が狙われてるんだな、と言っているメロスの隣で、
「梨世ちゃん、あの子が前に言ってた子? 面白い子だね」
とのん気にイズちゃんが笑っていた。
満月に近い月が東の空に昇り始めた頃、花火大会は盛大に始まった。
体の奥にまで響く音と色とりどりの光の中で、僕達は歓声を上げたり拍手をしたりしていた。
「———先輩! 椋木先輩!」
花火の音にかき消されながら何とか届いた隣の和紗の声は僕にだけ聞こえていた。
「先輩。ちょっとお願いが」
近付いて和紗が耳元で言った。
「どうした?」
僕の問いに和紗は再び耳元に口を近付けた。
「トイレに行きたいです」
彼女は顔を離すと僕の目を見て照れ笑いを隠そうとうつむいた。
「わかった。行くよ」
僕が立ち上がると和紗は見上げて手を出した。
僕はその手を取って引っ張り起こすと、目が合ったミツさんにトイレと短く告げて和紗と歩き始めた。
道もヒトで埋め尽くされていて、下駄でふらふらと進む和紗の歩く速度がちょうどよかった。
「先輩、速いよ」
それでも歩くのが遅い和紗がつまずいて僕の腕にしがみつく。
「先輩。腕組んでもいいですか?」
息がかかるほどの距離で和紗が僕を見つめる。
「歩きづらくない?」
「全然。先輩に置いてかれるよりマシです」
和紗はそう言って笑った。
「先輩って普段は優しいっていうか優しすぎるのに、こういう時は素っ気ないっていうかオトコっぽいですよね」
「それって褒めてる?」
「褒めてるって言うか、そういうの好きですよ。先輩」
和紗は僕の腕に腕をからませると、
「和紗は、先輩のこと好きなんですよ」
と、何でもないようなニュアンスで言いながら和紗は僕を見ていた。
「それはどうも」
「ほら素っ気ない。今の、———告白ですよ」
「………え?」
驚いてもう一度和紗を見ると、笑顔だった。
「先輩、カノジョと別れたって聞いてチャンスだと思ったんです」
僕らはゆっくりと歩いていた。
「先輩の返事、聞かせてください」
僕の腕を強くつかむ和紗はうつむいている。
「渡来さん、あのさ———」
ヒトと花火と夜の闇の中で、見上げた和紗の黒い瞳がキラキラしていた。
「———椋木くん!」
その声が聞こえた瞬間、ほとんど反射的に振り向いた勢いで和紗から腕を振りほどいた。
「鹿山さん。どうしたの?」
人波をかき分けて小走りで来た鹿山さんに僕は尋ねた。
「私もトイレ!」
勢い余って僕の服の袖をつかんで止まる鹿山さんは呼吸を整えると、
「迷子になるから私も連れてって」
と言った。
「梨世先輩、下駄で走ったら危ないですよ」
鹿山さんを心配してか和紗はそう言うと僕の手を引いて歩き出した。
「心配してくれてありがとう。でも私、転んだりしないから」
鹿山さんは僕を挟んで和紗の反対側を歩く。
彼女は僕の袖をずっとつかんでいた。
「ちょっとくらいよろけたほうが守りたくなるんですよ」
「私はアナタみたいに恋愛をゲームみたいにしてませんから」
「ゲームなんてしてません。和紗はいつだってマジなんです」
二人が僕の左右で言い争っている間にやっとトイレに着いた。
「じゃあ、椋木先輩。待っててくださいね」
立ち止まった僕から離れて和紗はトイレ待ちの列に並ぶ。
「梨世先輩、並ばないんですか?」
「あとで並ぶよ。ちょっと飲み物買ってくるね。椋木くん、行こ」
僕の返事も待たずに鹿山さんは僕の手を引いて人込みを縫うように歩いていく。
「ちょっと梨世先輩!」
背中に聞こえる和紗の声が花火と雑踏にかき消される。
「鹿山さん、トイレは大丈夫?」
「うん。平気」
「えっと、何買う?」
トイレからそんなに遠くない屋台で僕達は足を止めた。
「冷たい飲み物。それと、———椋木くん最近モテ期じゃない?」
彼女は屋台のお兄さんからスポーツドリンクを人数分買うと、その重そうなビニール袋を受け取る。
「持つよ。別に、モテ期なんかじゃないよ」
僕達は視線を合わせることなく飲み物を買うと、周りの歓声に反応して夜空を見上げた。
「そうかな。———カニクリが、告白みたいなこと言っちゃったって」
「聞いたんだ?」
「自分で言い出したんだよ。そんなつもりじゃなかったって」
「うん。それはわかってる」
「それに、和紗にもアピールされてるし」
「それは、………予想外だったけど」
続けて何発も打ち上がる花火の音に遮《さえぎ》られて僕達は距離を近付ける。
「ほらモテ期じゃん。もう和紗と付き合っちゃえば?」
もっと君の声が聞きたくて。
「それは打算的すぎだよ。いくら何でも———」
音と歓声にかき消される僕の話を聞いてほしくて。
「そうだね。さっき渡来さんに告白されたからオッケーするよ」
僕は心にもない嘘をつく。
「………え? マジで?」
彼女の驚いた声は僕にだけやっと届く小さな声だった。
「マジだよ。そこはおめでとうじゃないの?」
いつになく近い距離で、
「そう言いたいけど、何か———イヤなの」
「何で?」
「何でも!」
僕から逃げようと走り出す彼女の手を僕は容易《たやす》くつかんだ。
「僕だって鹿山さんが他のオトコといたり、付き合ったりするのはイヤだよ!」
僕に手首をつかまれたまま彼女は振り返り、にらむように僕を見る。
「だったら何で!」
「———君が僕を選ばないからだよ」
彼女はきゅっと下唇《したくちびる》をかんでいた。
「自分で幸せになろうとしないからだよ」
「じゃあ、椋木くんを選んだら私は———幸せになれるの?」
「少なくとも結婚しているヒトと付き合ってるよりは幸せにできるよ」
「………そんなの勝手だよ。椋木くんにはわかんないよ」
「それで君は幸せなの? 自分で自分を幸せにする努力をしない人間は幸せになんかなれないよ」
「わかっててもできないヒトもいるんだよ。好きなのになっちゃいけないって思ってるの」
「どうしてなっちゃいけないのさ。好きになるのも嫌いになるのも本人の自由だろ?」
「それが簡単にできないのが恋なんでしょ! わかってたらこんなに椋木くんのことで悩んだりしないよ!」
「悩んでたの?」
「当たり前じゃん。好きなヒトに自分以外のヒトと仲よくされてうれしいわけないじゃん。———私だけを見てほしいよ」
僕が握る彼女の腕に力がこもる。
「それでも、………私のこと軽蔑してよ。嫌いになってよ。好きになんかならないで」
僕から外された視線の先に、彼女は何を見るのか。
「軽蔑して嫌いになっても、また君を好きになるよ」
その視線の先に何があっても、僕を思ってくれたらそれは幸せだ。
「———私が、君を好きじゃなくても?」
世界は僕を取り残して回っている。
「好きじゃなくても、何度でも」
彼女の瞳に僕が映る。
「君を、好きにならないかもしれないよ」
初めてそんな奇跡が起きた瞬間は、そう思っていた。
「好きになってくれるまで待つよ」
けれど、
「待ち続けておじいちゃんになっちゃうかもよ?」
「そしたら鹿山さんもおばあちゃんだね」
それは奇跡なんかじゃなかった。
「おばあちゃんになるまで私を好きでいてくれるの?」
「もちろん。白髪が生えたって、しわくちゃになったって、ずっと鹿山さんのことが好きだよ」
当たり前にある現実。
「まだしわくちゃじゃないよ」
「そうだね。まだ若いもんね」
「そうだよ。だから、やり直して」
失恋を繰り返す悲しい恋に終わりを告げる。
「わかった。———鹿山さん、大好きだよ。だから、付き合って」
ありふれた言葉。
何の変哲もない会話。
「………ありがとう」
花火で鮮やかに染まる白い肌は、とてもキレイでそれ以外の言葉を見つけられなかった。
「キレイだね」
僕が言うと彼女は空を見上げる。
「うん。キレイ」
力が抜けた彼女の手が僕の手に包まれる。
細くて長い指が僕の指にからまる。
「あ、そろそろ戻らないと。行こ?」
ぎゅっと握られた手を彼女に引かれて僕は歩き出す。
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