大学生の夏休み。
普通の学生ならば当然のように催されるであろうそのイベントに僕は縁がなかった。
「それは私も一緒。去年はチャラいサークルのバーベキュー行っちゃってめんどくさかったな」
カニクリは野菜を切りながら言った。
「行ったことあるんじゃん。僕は初めてって話だよ」
僕はその切りそろえられた野菜を串に刺しながら言った。
「関係ないわよ。私達は食べ物を用意する係り。で、あっちは話で盛り上げる係り」
そう言って包丁を向けた先には鹿山さんがいる。
「ミツさんも懲《こ》りないよね。あの子に興味すら持たれてないのに」
「それがミツさんのいいとこなんだけどね」
「椋木くんのそういうとこ、ほんとうに尊敬する」
「えー、全然モテたりしないよー」
ミツさんを含めた三人のオトコにちやほやされている。
ミツさんとモデルの医大生とワイルド系の法学部の組み合わせはちょっと意外だった。
「ミツさんとお友達、同い年だから私達より二つ上?」
「そうだね。将来有望そうな男子だね」
「椋木くんは? 大学卒業したらどうするの?」
「まだわかんないかな。カニクリは?」
「私は院まで行って栄川先生のお手伝いをするつもり」
「カニクリは頭いいから臨床心理士にもなれそうだよね」
「椋木くんも栄川先生のお手伝いしない?」
「考えとく。でも院に合格する自信はないかな」
「椋木くんなら大丈夫だよ。私と一緒にがんばろう」
「ありがとう。そうなった時はよろしく頼むよ」
「うん。期待してる」
ほとんどの食材を切り終えたカニクリは微笑んだ。
「朋弥。肉買ってきたぞ。どうすればいい?」
肉担当のミツさんが忘れてきた肉をメロスはじゃんけんで負けた女の子達を連れてレンタカーで近くのスーパーに買いに行っていた。
「僕に聞くなよ」
「まあまあ。お肉は2センチ四方に切りそろえてお肉だけで串作って。そうすれば野菜と一緒にするより焼き具合が均等になるから。焼けたらバラしてね」
「カニクリ先輩さすがですね」
バニラのアイスクリームを食べながらカニクリの後輩がその様子を見ていた。
「メロスくん、アイス買ったの?」
カニクリはその後輩、渡来和紗《わたらいかずさ》をちらりと見ると、メロスに鋭い視線を送る。
「いや、まあそうだね。買い与えました」
「その子に奢ってあげても徒労に終わるだけよ。鹿山さんと一緒でだから」
と小声で伝える。
「カニクリ先輩、聞こえてますよ。てゆか、梨世先輩と一緒にしないでください。私はあんなビッチじゃないんで」
後ろのユウキとマイが和紗に何かを知らせようとする。
「何か呼んだかな? 和紗ちゃん」
向こうのオトコ達の囲みをいつの間にか抜け出した鹿山さんが和紗の後ろに立っていた。
「呼んでないですよ。ここは椋木先輩とカニクリ先輩がやってくれるんで大丈夫ですって。バーベキューにそんなヒールで来るようなヒトはちやほやされてればいいじゃないですか」
「そうですねー。でも清純装ったひらひらのワンピで来るオンナもどうかと思うけどね」
「褒めていただいてありがとうございます」
この二人を呼んだのは誰だ。
と僕達は思っていた。
こんなに相性が悪いなんて思いもしなかった。
「あ、和紗。ミツさんが呼んでるよ。ユウキとマイも行ってきて。もう少しで準備できるからって」
洗い場から離れていく和紗達三人はミツさん達三人に囲まれておしゃべりを始めた。
「あの子、心理学部の後輩なんだっけ?」
「うん、鹿山さんごめんね。栄川先生の知り合いの娘さんで面倒見てやってって頼まれた子なんだけど、ミツさんがやけにお気に入りで」
「カニクリがそこまで優しいとは知らなかった」
「私もそう思う。ただ、栄川さんに頼まれたからにはさ」
カニクリが栄川先生から頼まれごとをされているのは何回もあった。
よほどお気に入りなのはカニクリの頭がいいだけではない、深い理由があるのかもしれない。
「何か、手伝おうか?」
と鹿山さんは言った。
「ん? だったら肉を串に刺して。椋木くん」
「え? あ、鹿山さんこれを刺して。四個ずつ」
彼女は僕の隣に立つと、
「うん。わかった」
と僕が渡した鉄の串に肉を刺し始める。
「椋木くん、今日さ」
彼女の髪が揺れるたび、甘ったるい香水の匂いが隣にいる僕に届く。
「何か、いつもより服かっこいいね」
そっと僕にだけ聞こえるその声は、耳の奥をくすぐる。
「………ありがとう。シズクが選んでくれてさ」
まるで服に着られてるような居心地の悪さ。
シズクはそんな僕を見て、似合ってる。読者モデルみたい、と言って喜んでいた。
「そうなんだ。シズクと、———付き合うことにしたの?」
「———うん。何か、いろいろと迷惑かけてごめん」
「迷惑? 全然。二人はお似合いだからなー。シズクはセンスもいいし。椋木くんがいつもの何倍もかっこいい」
もう一度、彼女がいつもと違う表情でそう言ったから、僕はその長いマツ毛の横顔を見つめずにはいられなかった。
「ん? どしたの?」
「いや、何でもない」
この思いは何なんだろうか。
その横顔をずっと見ていたいとか、そばにいたいとか、思ってしまうこの一瞬を恋だというのなら、
「………椋木くん」
これは恋なんかじゃない。
きっと恋なんかしていない。
何て言えばいいか、そう、ただの憧憬だ。
雨上がりの虹の根っこを探すような、夜空の星に手を伸ばすような、ただの憧れ。
「———今、幸せ?」
どれだけ走ったとしても、どれだけ手を伸ばしたとしても、それには手が届くはずがないんだから。
「———うん。幸せだよ」
「そっか。お幸せに」
完成した肉の串を持って鹿山さんは歩いていった。
「鹿山さんもね」
と、僕は彼女の背中に投げかける。
どうにもできない、胸のもやもやを、頭の中のいら立ちを、何にも表現できずに我慢しながら。

***

ミツさんが発案した突発的なバーベキューは準備不足のおかげで昼をだいぶ過ぎてから食べ始めることになった。
周囲では食べ終えた他のグループがまったりと過ごしている中で、全力で肉を喰らう肉食系のオトコどもとマイペースにタマネギを食べている椋木くんを見比べていた。
「椋木くん、野菜ばっかりだとお肉なくなるよ」
と私はほどよく焼けた肉を、お節介とわかっていながら皿に乗せてあげる。
「ありがと。カニクリは食べないの?」
「お肉? 私は肉食じゃないから」
売れ残ったカボチャが網の上で焦げ始めていた。
私はそれを拾い上げ、そのまま少しかじってみる。
カボチャ本来の甘みが、———いやそんなことはほとんど感じられなかった。
「………昨日、シズクからメッセ来たよ。椋木くんとヨリ戻すからって」
だから手を出すなよ。
シズクは裏側できっとそう思っている。
そういう人付き合いの煩《わずら》わしさみたいなモノが、最近ひどく億劫《おっくう》に感じる。
それでも、それらの際たる恋愛から随分《ずいぶん》と遠ざかっていた、というよりは意図的に遠ざけていた状況から少しずつ変わってきているのを自分で理解していた。
「ねえねえ、梨世ちゃんの好きなタイプってどんな?」
「えー、チャラいヒトかな」
それもこれもコイツのせいかもしれない。
「チャラいヒトが好きなの?」
「うん。だってチャラいヒトってオンナの扱いになれてるでしょ? だから優しいし、マメじゃん?」
鹿山梨世が椋木くんの周りに現れてから、私達の距離感は少しずつ変化してきている。
友人のままでいられたのが、そうではいられなくなっていた。
「だったらチャラいオレ達三人の中で、誰が一番タイプか選んで」
「じゃあ、ミツさん———」
「マジで!?」
「———は、とりあえずなしで」
「えー! 梨世ちゃんひどいよ!」
「ミツさんはそういう役回りなんですよ」
「だったらオレ、ヨウスケとコイツ、マサヤのどっちがタイプ?」
医大生でサロン系モデルのヨウスケと法学部の渋谷系で色黒のイカツいマサヤ。
「えー、どっちも選べなーい」
このいら立ちは何だろう。
「今のアンタ、マジウザいよ」
私はバーベキューグリルの向こう側にいる鹿山さんに思わず言ってしまった。
「出たよドS発言。カニクリひどくなーい?」
「ひどくないでーす」
その場の凍り付きそうな空気をものともしないで笑いながら鹿山さんが返すから私もついつい言い過ぎてしまう。
「カニクリちゃんかわいいのにドSなんだ。意外だな」
医大生のヨウスケがはにかんだ笑顔を見せた。
さすがオンナ慣れしている。
必ず一つは褒めてくる。
「梨世ちゃんは? S? M?」
もはやSでもMでもどうでもいい。
「私は、Mかなー」
法学部のマサヤに鹿山さんは素直に答えた。
「だったらオレとかマジ合うんじゃね? オレ結構Sだよ」
「ほんとー? でもね、とりあえず命令口調なのは嫌かな。興味ないヒトに言われても内心、ちげーよ。オマエに言われても何も感じねーよってなって私の中のSが目覚めるよね」
オトコにかまわれてさえいればいいのかと思っていたから、その答えは鹿山さんらしくない気がした。