「お母さんには反対されてるんだよね。龍神の調査」

 話の方向の明後日ぶりに、優馬は何のリアクションも取れずにいた。

「だから、一緒に調査してる優馬のこともよくは思ってないと思う。けど、気にせずに堂々としてればいいのよ。って、わけ分かんないか」

 優馬には何の話か分からなかった。ただ、先日の栞との会話が頭に残っていたために何となくの見当は付く。と同時に、見当が付くことで却ってブレーキとなり、ただでさえいいとはいいがたい優馬の判断力を鈍らせる。

「滝上正明。これが私のお父さんの名前なの」

「滝上って、あの滝上?」

 滝上と聞いて優馬の頭に真っ先に浮かぶのはあの生徒会長だ。驚きを隠せないでいる優馬に向かって、七瀬は真剣な表情でうなずき返す。

「秋山っていうのは母方の姓なの。じゃあ何で滝上じゃないのかってとこから話さないと分からないだろうから、まずそこから話すね」

 七瀬は一旦言葉を区切り、深く深呼吸。

「お父さんは滝上家の次男だったの。長男は生徒会長のお父さんだから、私と生徒会長はいとこ同士ってことになるわね。けどお父さんは突然お母さんと駆け落ちして、その上お母さんを妊娠させちゃって、結局一族の恥だってことで滝上家を勘当されたの。で、その時生まれた子どもが私ってわけ」

 突然の告白に、優馬はただ唖然と口を開けたままぐうの音も返せない。

「って、いきなり言っても信じられないか」

 優馬はこくこくとうなずく。

「私としては滝上家とはできるだけ関わりたくないんだけど、向こうも私のことを目の敵にしてるみたい。お母さんのことも、滝上家の財産目当てでお父さんに近付いた、とか思ってるらしくて」

 優馬には思い当たるものがあった。七瀬がオカルト研にやってきたあの日、生徒会長は七瀬たちのことを「コソ泥」と呼んでいた。その理由を少しだけ理解できた気がした。

「お母さんはお父さんのことについては何も話してくれないの。写真の一枚すら残ってなくって。だからどんな顔だったのか、とか、性格とか、全然知らないんだよね。だけど、一つだけ分かってることがあるの」

 優馬は黙って聞くことにした。ここは変に促すのも、何だか違うような気がした。ただただ聞き役に徹し、あとは七瀬が話すに任せるのが一番いいように感じられた。

「お父さん、この学校の卒業生でしかもオカ研の部員だったのよ」

 七瀬は、自分たちだけの秘密を打ち明ける子どものように目を輝かせながら、いたずらっぽく声をひそめた。

 そんな七瀬の表情に、より正確に言えば目に、優馬ははっとさせられる。見る者を不安にさせるような重たい澱みは既になく、代わりにあるのは優馬を面倒なことへと引きずりこもうとする時の、つまりこれまで優馬が見てきた通りの七瀬だった。

 というよりもむしろ、更に磨きがかかっているように感じられた。今となっては、自分を引っ張り回すことに対する躊躇いなど欠片ほども残っていないに違いない。ついそんなことまで優馬が思ってしまうほどに。

 ──余計なこと言っちゃったかなあ。

 などと、取り返しようもないことをふと思う。

「ね、不思議だと思わない? 町で一番て言われる家の子どもだったら、普通はオカルト研究会なんて怪しいトコにわざわざ入らないじゃない? それにお父さん、私が生まれるよりも先に死んじゃったみたいだし。聞いた話だと、まだ二十代半ばくらいだったんだって」

 自分の些細な感傷など比べ物にならないほどの話の重たさに、優馬は一体どんな顔をすればいいのか分からない。

「深刻な顔しなくても大丈夫だって。大体、会ったこともない人の生き死になんて、ピンと来ないもの。そんなわけで私、昔から風あたりが強くって。知らないかもしれないけど、いじめとかもあったんだよ? あの頃で女の子の友だちって言ったら、栞しかいなかったな。男の子と遊んでたのも、実はそれが理由。さすがにこのままじゃよくないからって、小学校の途中から町の外に住んでるおばあちゃん家に行ってたの。お母さんはこの町から出るのをすごく嫌がってたから、まだ小さかった私だけでもって。けどおばあちゃんもこの前死んじゃった」

 優馬が小学生だった頃、何故七瀬は急にいなくなってしまったのか。今ならその理由が分かる気がした。いじめられて町を出ていくというのに、周囲に挨拶回りなどしたいわけがない。ましてや同情を受けることなど、気が強い七瀬の許すところではなかったに違いない。だからこそ、優馬はおろか栞にすら何も告げず夜逃げ同然にいなくなったのだ。結果として、名前すらろくに知らされないまま、とある少女の強烈な印象だけが残された。

「だったら、何で」

 途中まで言いかけて優馬は口をつぐんだ。言うべきではないと思ったのだ。

「今頃戻ってきたのか、よね?」

 ところが七瀬は先回りで補完してしまう。優馬は誤魔化せないことを観念しうなずいた。

「別にいいよ。私が優馬の立場だったら同じこと考えるもの」

 返答を待つまでもなく、七瀬は語り始める。

「私ね、家族の不名誉を晴らしたいの。そのためには、私がこの町で堂々と生きるのが一番じゃないかって思ったわけ」

 優馬は表情を曇らせた。答えになっていないのではないか。そう思ったのだ。

「じゃあ何であんな賭けを持ちかけたんだよ。わざわざ追い出されるためにやってるみたいじゃないか」

 そうじゃないの、と前置きしてから七瀬は自分の気持ちを確かめるように言った。

「私はね、堂々としていたいだけなの。いくらこの町に住むためだからって、人目を気にしながらこそこそ生きるなんて、まっぴら御免だもの。だったら、相手が生徒会長だろうと誰であろうと、闘うしかないかなって」

「まあ、そうだよね」

 もっともな理由だった。優馬自身が隠れるように学校生活を送っているからこそ、七瀬の言い分には強く共感するものがあった。

「それにね、この町に来る前から何とかなるっていう気はしてたの。だってほら、お母さんはずっとこの町に住み続けてるわけだし」

 どういうことなのか。優馬は話の筋を捉えかねた。

「いざやってみたら、転校手続きはやけにすんなりできたの。普通に考えたら私がこの町に戻ることなんてできるわけないのに」

「そう思うなら、わざわざ龍神の調査なんてやろうとしなくてもよかったのに」

 優馬の非難めいた言葉にも動じずに七瀬は首を振った。静かな、けれども明確な否定だった。

「納得いかないことが色々とあるのよ。お母さんは私に何かを隠してるみたいだし。生徒会長だけがしつこく噛みついてくるのも、何だか変だと思わない?」

「うん、まあ、そうかなあ」

 言われてみれば確かにそうだった。何故生徒会長は毒にも薬にもならない零細研究会をこうも敵視するのだろうか。優馬もまだ理解できずにいる。

「それに、いつかお父さんが残した足跡を追いたいって、ずっと思ってた。多分だけど、今がその時なの」

 優馬は、七瀬が見せる強い熱意の根源にようやく触れた気がした。ただし、だからと言って疑問が全て解消されたわけではない。

「まだ分からないんだよね。何で龍神を見つけることが七瀬の家族と関係あるのさ」

「確かに大事なところよね」

 七瀬はうんうんとうなずく。

「これも聞いた話、それもあんまりいい言われ方じゃなかったんだけど、お父さん言ってたらしいの。『龍神はいるんだ』って」

「龍神はいる」

 なぞるように口にしてみると、思った以上に優馬の胸に重く響いた。自分がほんの迷信としか思っていなかったものを、本気で信じた人がいた。さらには、今も七瀬を突き動かす原動力となっている。優馬は衝撃を受けずにはいられなかった。

 龍神の存在を信じることそのものが、今や七瀬にとって亡き父と自分とを結びつけるたった一つの絆なのだ。今にも消え入りそうな糸を手繰るように、七瀬は自らにとって忌まわしいに違いないこの町へと戻って来たのだ。

 伝説に過ぎないと言われ、自分でも目にしたことのない龍神の存在を七瀬がこうも絶対的に信じることができるのか。優馬はようやく理解することができた。

「でも結局周りの人たちからは相手にされなかったらしくて。ま、当たり前だよね。陰では『滝上家の次男坊は困りもの』って言われてたらしいから。だから、同じ血を引く私のこともこの町の人たちは同様に扱ったのよ。おまけにお母さんは結婚もしないまま私を産んじゃったわけだし」

 優馬は思う。自分の血を分けた我が子の顔を一目見ることすら叶わないまま死んでいく。その悔しさ、悲しみは一体どれほどのものだろうか、と。この世に対する未練はいかばかりか、と。それとも、七瀬のことはどれほどにも思っていなかったのだろうか。

「しかもお父さんが死んだのって、私が生まれる直前だったって。だからお母さんがお父さんのこと話したがらないのも、分かる気がするんだよね。わざわざ苦労させる原因だけ作って自分はとっとと死んじゃったんだもの」

 一瞬暗い表情を浮かべかけたものの七瀬はすぐに首を振り、持ち前の気丈さで話を続ける。

「だからこそ確かめたい。お父さんはオカ研で何を見つけようとしてたのか。どうして龍神がいるって信じるようになったのかって。でもそれだけじゃないの」

 七瀬は大きく息を吸い込み、何かに向けて思いを馳せるように目を閉じる。

「お父さんは私が生まれてくることについて、どんなことを感じてたのかなって。今も、ずっと気になってる」

 開かれた七瀬の目には、一切の迷いもなかった。視線をまともに食らった優馬は、七瀬が入部した日のことを思い出す。逆巻く嵐のように七瀬が現れた日のことを。

 ──これが、自分の退学を賭けてまで戦おうとする理由。

 同時に、七瀬の心に掛けられたたすきの本気ぶりを思い知らされてもいた。

「これは単に私だけの戦いじゃない。私たち家族の名誉を賭けた戦いなの。だから私は諦めない。諦めるわけにいかない。だから……」

 と、今までの勢いはどこへ行ってしまったのか、七瀬は急に忙しなく視線を漂わせる。

「今更……こんなこと言うのも……何だけど」

やはり意地なのか、最後の一言が言い出せない。

 普段は凛々しいV字の眉毛も今は情けないほど見事なハの字。放っておいたら、今にも泣き出しそうなのだ。捨てられて雨に濡れる子犬のようなその目は七瀬には全く以て似合わない……とまではいかないまでも、少なくとも七瀬らしいとは言い難い。

 ──ずるいよなあ。

 後頭部をぼりぼりとやりながら、優馬は斜めに視線を逸らす。

 こんな目で言われてしまったら、もはや断りようがない。むしろ追い込まれたような気持ちになりながら、どう答えるべきかを考える。

 七瀬がこんな表情を見せることなどついぞなかった。一体どういう風の吹きまわしか。とは言え、自分ばかり責めるな、などとかっこつけたのは優馬なのだ。だからこそ、七瀬がこうして飛び込んで来ている。そんな甘痒い気分を心の片隅に感じながら、優馬の気持ちは一つの結論へ向けて収束していく。

 ──まあ、いいか。

 例え七瀬と言えど、しおらしくしていればその姿は美少女そのもの。であるからには、お姫様を助けるおとぎ話の王子様。そんな高揚感も少しはあったりするわけで。ただ、客観的に見れば痛い妄想でしかないのだけれど。

「いいよ。やろう。力を合わせて龍神を見つけて、正明さんの汚名を晴らそう」

 優馬は、先を続けにくそうに逡巡していた七瀬の機先を制し、自分から答えていた。

「うん……。ありがと」

 思いのほかあっさりと了承を得る七瀬は、完全に肩透かしを喰らう形となってしまい所在なさげに身を竦めた。