私の先輩に毛利元道という男がいる。顔は上の上。頭も体も円滑に動く優等生。さらに言えば十七歳にして小説家。全国に広がる名声に、落ちない女はいないと絶賛されていた。
 私は先輩を元道さんと呼んでいた。自然に最初はそう呼んでいたが、今はスケベ元道か呼び捨てで読んでいる。世間一般で呼ばれている元道様など、書けはしても口にはできないのである。
 私が元道と知り合ったのは、広島の公立高校で、部活を探していた時である。
 当然だが、私はピチピチの一年生であった。
 中学時代の美術部の先輩から、紹介したい人がいるとメールを受け取った。だから私は高校の文芸部に足を運んだのだ。
 そうしたら、メールを送ってくれた先輩が、紹介したい人である元道と一緒に、私を出迎えてくれた。
 テーブルには、豪華なケーキとお菓子が置かれていた。私一人のために、わざわざ教室を隅々まで装飾してくれている。痛んだ部室を、早急に直した跡もみえる。そして、ケーキを無理やり食べさせてくる二人に私は嵌められたと気づいたのだ。気づいたのだが、二人しかいない文芸部をかわいそうだと感じて、またこれほどのおもてなしに断り切れずしぶしぶ入部した。
 この時にはもう、元道は小説家として名が知れていた。にもかかわらず、部員が少ないのには二つの理由があって、去年の卒業生が多かったのもあるが、新入生の大半が男子であることがあった。
 正確には、私以外が男子である。しかもほとんどが体育系。こうなってしまうと、文芸部は絶望的である。
 そこで入学式で目立った私が、先輩に見つけられ、入部させられることにつながったわけだ。
 けれども問題は入部届を提出した後で、文芸部として部室に向かった時のことだ。私は元道に襲われたのである。
 その日から私は、彼を元道さんと呼ぶことをやめた。

 汚されてからは私の気持ちは沈んでいた。入学から周りが男子で話し相手ができず独りぼっちであったが、それを改善しようとした部活選びでまさかこんなことになって……。私の生きる気力は完全にゼロと同意であった。
 このボロイ学校は二階建てで、飛んでも確実とは思えない。私は学校が早々に終われと無駄な願いをして授業を耐えた。七階にある家に早く帰り、頭から落ちたかったのだ。それが無理なら、薬をたらふく飲んで結果を待つつもりだった。

 校門近くでは、運動部が準備運動をしていた。
 掃除がなければさっさと帰れたのだが、無視すれば女々しい男子がうるさい。男なら、自分が全部やっておくから帰っていいよと言えるくらいの器を持ってほしいものだ。
 と、心のどかかで思いつつも私の主な考えは死ぬことであった。
 しかし考えすぎたせいなのか、私は左右も見ず道路を渡ろうとして、走ってくる車にクラクションを鳴らされた。
 私は誰かに手を引っ張られ、接触を回避させられた。残念な気持ちなどみじんもなく、むしろ恐怖を感じて死ぬことをあきらめた。
 しばらくそれで立ち上がれず、車はどこかへ去っていった。
 手を引っ張ってくれた男は、座り込む私を「立てるか?」と声をかけてゆっくりと引き上げてくれた。
 私はしばらく独りぼっちであったが、この男には見覚えがあった。
 同じクラスで、自分から学級委員になった変わり者。髪染めOKの学校といえど、一年の中ではまだ抵抗があるはずなのに真っ赤に染めている。確か名前は、刃釜なにがしとかだったか。
 私はきちんと礼をしようと頭を下げた。お気楽に受け流されたが、それでもありがとうと付け加えた。
 私は、自分で言うのも恥ずかしいが義理堅い女であった。明日にでも何か贈ろうと勝手に決心した。したがって、それを実行したいと体が反応し、手を振って彼と別れようとした。
 しかし彼は、待ってと足止めさせて、一度その場から消えると、数分して再び戻ってきた。
 彼は私が前に無くしてしまった消しゴムを渡して、逃げるように外周し始めた。
 その消しゴムと紙ケースの隙間には、見覚えのない紙が挟まっていた。何かと開いてみれば、そこには汚い字で春平という名前と彼のメールアドレスが書かれていた。
 私は突然のことで笑ってしまい、おそらくだがちょっぴり赤面して家に帰った。