だけど、目の前にいる沖田さんに全部を説明する気にはなれなくて。


たぶん、先日遭遇してしまった奥さんと言い、今日のヒロといい、色々なことを悟ってしまったのは明らかだ。


「会社で悲しそうにしてたのは、このことが原因だったんだね」


離れたところに座る沖田さんが、距離を置いたままで私を見つめている。

いつから彼がそう思っていたのかは知らないけど、悲しいことがあっても会社では普通にしていようと頑張っていた私を見ていた。
でも、思っていたよりも隠せていなかったんだな。


水槽の中の熱帯魚を眺めているうちに、水槽のガラスに沖田さんも映っていることに気がついた。


まだ昼間のこの部屋で、水槽のガラス越しに目を合わせる私たち。
静かな、休日。


ゆっくりと沖田さんが近づいてくる。
それは後ろを見なくても水槽に映っている。たぶん、そのことは彼も分かっている。


するりと沖田さんの腕が私のお腹のあたりに回されて、背中にほわんとした温かい感覚を感じた。

小さな水槽は鏡代わりになって、彼が私を後ろから抱きしめている姿が浮かび上がった。


「これ以上ここにいると逸美ちゃんに触りたくなるから、もう帰る」

「……………………」


返事が出来ないのは、心臓が鳴りすぎて苦しくて、声が出なかったからだ。
返事の代わりにコクコクうなずいていると、水槽に真剣な沖田さんの表情が映り込んだ。


「やっぱり決めた。僕は変わりたい。ことなかれ主義はやめる」

「それって……係長に?」

「うん。潰されるかもしれないけど、少し足掻いてみる」


潰されるって、仕事を辞めさせられるとかそういうこと?
そんなことになったら、会社ではもう会えなくなるんじゃ……。


急いで振り返ると、沖田さんはもう私から手を離して立ち上がっていた。

水槽越しに映っていた真剣な表情は消えていて、いつもの穏やかな優しい笑顔だった。


「熱帯魚、大事にしてね」


それだけ言い残して、沖田さんは部屋からいなくなってしまった。