ふたりだけのアクアリウム



ついこの間まで、前に付き合っていた人のことを引きずっていたはずなのにな。
いや、あれは付き合ってると思っていたのは私だけってやつだったけど。

それがトラウマになって一生恋できないとか、そんな大きな傷になったわけじゃない。でも、しばらく恋はしないかも、と思ってた。


沖田さんみたいな人に惹かれるなんて、数ヶ月前の私には想像もつかなかった。


優しくてお人好しで、会社ではいつも困ったように笑っていて。
だけどそれが本当の笑顔じゃないって気づいてからは、ずっと彼を目で追うようになってしまった。


『水草水槽って知ってる?』


彼の一言が、私を少しだけ変えてくれたのかも。





「悔しいけど、やっぱり綱本係長は凄いよねぇ」


仕事が始まり、朝のバタついた業務はひと通り終わった頃。
茅子さんが何かの書類に目を通しながらそんなことをつぶやいていた。


「何かあったんですか?」


私が尋ねると、彼女は手にしていた書類をトントンと机で揃えて渡してきた。

すぐ目に飛び込んできたのは、「契約書」の文字。
嫌な予感がした。


「この会社名…………」


知ってる。
だって、沖田さんが取ってきた契約なんだもの。

あの、例の大口の契約だ。
名前を聞けば誰もが分かるであろう、有名な会社。


「それね、係長がこの間取ってきた契約なんだって!凄くない?その契約だけで相当利益上げるよ、きっと。今回のは専務まで事務所に来て係長のこと褒めてたもの。もしかしたらそのうち昇進したりして」


茅子さんの言葉を聞きながら、書類をめくる。
そこには、沖田さんの名前がサインしてあったはずの場所に、綱本係長の名前があった。

昨日、沖田さんが言ってた。
担当が替わったと話してしまえば、それで終わり。
契約書もそのように説明して、相手にもう一度サインしてもらったのだろう。