金木犀のエチュード──あなたしか見えない

男性は詩月くんのことを幾分か知っているに違いないと思った。

「彼が周桜Jr.だということは知っているし、もちろんピアノ専攻だというのも知っている」

「彼を『周桜Jr.』と呼ばないほうがいいと思うわ」

「そう、だった。彼は引くほどにファザコンだ」

さらりと言った男性の言葉に、ブチッと音を立てて糸が切れた。

「失礼な人ね。志津子、行きましょう」

わたしが志津子の手首を掴み、踵を返すと、志津子は男性に「ごめんなさい」と小さく会釈して、わたしの後ろについてきた。

足早に大股で歩くわたしの歩幅に合わせ、何も言わずに。

「2度と会いたくない。詩月くんのこと、何も知らないくせに」

わたしが志津子の手首をギュッと握ると、志津子がギュッと握り返した。

カモメの水兵さん歌碑を離れ、ベンチに腰を下ろし、深呼吸した。