「いいの! 本当に?」

「いいよ」

「本当に?」

「だから本当に」

「結婚してくれるんだね! やったああ!」

 深夜の凪の雄叫びに、茶トラと灰色狼も合わせて遠吠えをし出す。

「静かにしなさい! 何時だと思ってるの! 結婚は……え? 結婚?」

 確かに私は頷いた。

 それは「凪や茶トラ達とずっとずっと一緒に居たい」と思ったから。

 正直、それ以上を考えてなくて「そばに居たい」からいいよ、と言った……つもりだった。

 でも、私はその前にプロポーズを受けていた訳で。

「いいよ」と言ってしまったら、結婚してあげるという意味に変換されてしまうのか?


 最近やっと「好きな人」と認めた相手が、もう婚約者になってしまった。

 やっぱり凪と過ごすと、事態は急展開してしまう。

 それが嫌じゃないのが、また悔しい。

 急展開、急直下、急上昇で進む私達の関係。

 このまますんなりと卒業まで行って、就職して結婚するところまで進むだろうか? まだ一波乱、二波乱あるのではないか? と少し怖い未来予想図を展開してしまったけれど、それはそれでいいと思った。

 凪が喜んでくれているし、それに何かあったら2人で話し合っていけばいい。





 使った食器類を洗っていると、後ろから凪に「柚月さん」と声をかけられた。

「何?」

「えっと……」

 言いよどむ凪を不審に思い振り向くと、それだけで体が当たってしまうほど至近距離に立っていた。

「危ない! 私包丁洗ってるのに。ケガするよ」

「えっと……」

「話なら後で聞くから。先に刃物だけでも片付けさせて」

「あの……僕達、婚約者なんだよね?」

「そう……みたいだね。一応ね」

「だから、あのその……」

「何?」」

 再度食器洗いに戻ろうとした私を見て、慌てたのか、凪が「キスしてもいいですか!」と大声で叫んだ。

 スポンジを持った手が止まる。

「キスしてもいいですか!!」

「……ダメ」

 早鐘を打つ心臓を悟られない様に、包丁立てに包丁をしまい、次はゆっくりとガラスのコップを洗う。

 本当は焦ってコップを割ってしまいそうな程なのだけれど、動揺してるのを悟られたくなかった。

 しょんぼりした顔で自室へ引き上げていった凪を見送ってから、私は小さくため息をつく。

「してもいいって聞かれたらダメって言っちゃうのに」

 微妙で繊細な女心を凪に理解してもらえる日は遠そうだ。

 それでも私達の関係は、また急激に進んだ。

 精神面では急激だけれど、具体的なスキンシップをする……のはまだまだ時間がかかりそう。

 そこの覚悟だけ決めれなくて申し訳ないと思った、聖なる夜だった。







「帰省?」

 クリスマスから数日経った朝。大学も休みに入り、私と凪はゆっくりと朝食を食べていた。

「うん。夏も帰らなかったし、流石に正月ぐらいは帰って来いってお母さんにうるさく言われた。凪は帰らなくてもいいの?」

「柚月さんが帰るなら帰る。でも数日だけかなあ……特に予定もないし。じゃあ柚月さんお正月は実家で過ごすの?」

「そうなるね」

「茶トラ達どうしようか?」

 その問題があった! と遅まきながら気づく。

 私達2人とも帰省してしまったら、犬の世話をしてくれる人がいない!

「僕が連れて帰るよって言いたいけど、流石に大型犬2匹はキツイなあ。うち、マンションだし」

 我が実家は、一応は一戸建で狭いながらも庭があるから物理的な大きさは問題ない。

 ただどういう訳か、母親があまり犬好きではない。

 だから犬を飼えなかった歴史がある。

 だけど、数日間、下手したら1週間は実家で過ごさなければならない。

 この寒空の中、茶トラ達が寂しそうに私と凪の帰りを待っている姿を想像しただけで、帰省したくなくなってしまう。

 親と私と犬。全員の望みを叶えたいなら、それぞれが何かを我慢しなければいけない。

 たとえ母親でも……ね。





「は? 犬?」

「うん。そう、お正月に帰る時に、連れて帰ってもいい?」

「ダメよ! って言うか犬飼ってるの? 今?」

「うん。捨て犬を見過ごせなかったから……」

 凪が、の単語は言わない。

 これ以上ややこしくなっては面倒だ。

「ダメ! ダメ! ダメ! お母さん犬ダメ!」

「知ってるけど、許可してくれないと、お正月、帰れないよ。寒空の下で凍えさせたくないもん」

「そうねぇ。そう言われればそうねぇ」

「いい?」

「ダメ!」

 お母さんはどうして、こんなにも頑なに犬を拒否するのか? そう言えば聞いた事がない。

「何で、そんなにも犬嫌いなの? アレルギーとかじゃないでしょ?」

「だってお母さん、子供の頃、犬に噛まれたんだもの。3針も縫う大怪我よ!」

「は?」

 何それ? たったそれだけ?

 しかも3針ってすごく微妙な怪我で、決して大怪我とは言えないのでは?

「呆れてるんでしょ柚月! でもお母さんだって真剣なんだから!」

「お母さんを噛んだ犬はしつけがなってなかったんだよ。うちの茶トラは絶対に噛まない」

「本当に噛まない? そんな犬がいるの?」

「いるよ。大半の飼い犬はそうだと思うよ。多分」

「そうなの?」

 お母さんの心が揺れているのを確信した私は「連れて帰るから、庭だけ掃除しててね!」と告げて電話を切った。

 その後、お母さんから折り返しがなかったのは、きっと決心してくれたのだと信じよう。

 こちらの問題は解決した。後は灰色狼と凪だった。

 もしダメだったら、お母さんが卒倒するのを覚悟して2匹とも連れて帰ってあげなければいけない。

 凪の部屋を開けると、パソコンの前で凪が調べものをしていた。


「茶トラは連れて帰る許可が出たけど、凪はどう? 大丈夫そう?」

「うん、まぁ」

「何か言われた?」

「ペット可のマンションだし、家族は犬好きだから、数日ぐらいだったら問題はないよ。ただ交通が不便になっちゃって」

「交通?」

「うん。うちの実家って凄い田舎だから、まず電車で帰るでしょ? その後バスに乗らなきゃ家に帰れないんだけど……」

 そう言って凪が見せてくれたパソコン画面には「大型犬は不可」の文字が並んでいた。

「どうしよう? 飛行機なら乗れるみたいだけど、空港から実家までは車で3時間。誰か空港まで迎えに来てくれないかな。親は……運転下手だし怖いし嫌だな」

 そう言いながら、携帯で電話をかけ始めた凪に、心の中で「運転が下手なのは凪もだよ」と突っ込んでおく。

 邪魔してはいけない、と静かに襖をしめると、誰かと楽しそうに話を始めた。

 きっと凪は地元でも友達が多いだろうし、生来の甘えたぶりで、3時間の片道をきっと迎えに来てくれる相手がいるよ、と心のなかで応援した。

 私はお母さんの許可さえでれば、もう何も問題なかった。

 地元までの交通は、元から飛行機だし、空港から家までの送迎は両親のどちらかが必ずしてくれる。

 帰省が決まったのだから、荷物を少しまとめなければいけない。

 まだ、私のパジャマとか残っているのかな?





「行ってきます」

 飛行機の関係上、凪が先に出発する事になった。

 空港から家までは、高校時代の先輩が迎えに来てくれる事になったらしい。

 良かったね、凪、灰色狼。

「いってらっしゃい。楽しんで来てね」

「うん、まあ、ゆっくりしてくるよ」

「ワンッ!」

 出て行く2人を見送ったら、私は本日の夕方の飛行機だ。

 それまで茶トラと遊んでいようと、室内にあげるけど、いつもより家がガランとして広く感じる。

 茶トラと2人では、この家は広すぎる。

「寂しくなっちゃったね、茶トラ……」

「ワンッ!」

「茶トラもそう思うよね?」

「ワンワンッ!!」

 初めて過ごすお正月は、実家で。

 学生だから帰省するのは当たり前だけど、この家でのんびりと4人で過ごすお正月も楽しかっただろうな、と少し残念に思いながら、今年最後の大掃除をした。

 次のお正月は、4人でこの家で過ごせたらいいな、と思った。