凪が店長さんから借り受けた、小さな古い民家への引越し準備は直に終わった。

 私も凪もワンルームだし、そもそも引っ越しして来て間もないのだ。実家から持ってきたダンボールがそのままなんて事もあったので楽だった。

「もう明日引越しか」

 部屋に積み上げられたダンボールを見ると、ため息が出そうになる。

 こんなに早くこの部屋を出て行く事になるとは、3月に引っ越してきた時には思いもしなかった。

 ダンボールの山が珍しいのか、ウロウロと落ち着かない茶トラを見つめる。

 短い時間しか過ごせなかった部屋だけど、それでもここで茶トラに出会い、凪と出会った。そう思うと何だか非常に感慨深い物がある。

 それでも感傷に浸ってる暇はない。これからの方が、もっともっと大変そうなんだから。

 だからもっと元気に出て行かないと。

「ありがとうございました」

 私は無人の部屋に向かって頭を下げた。




「違う! 凪! そのダンボールはいらないの!」

「え~。だって、僕、これ持って行きたいよ」

「ゴミでしょ!」

「酷いなあ……」

 引越し屋のお兄さんの前で取り合っているダンボールの中身は、凪曰く「宝物」

 私から見ればゴミだ。

 小さい頃から集めてたっていう、シールやら人形やら、瓶の蓋、ボロボロのおもちゃ。

「ゴミ捨て場に持って行きなさい! 唯でさえ、家が狭いんだから!」

「ちゃんと保管するから~。あ、すみません。これもトラックに……」

 引越し屋のお兄さんに、無理矢理手渡す。

「もう! 散らかっても片付けないからね!」

 今までの部屋だって、服は脱ぎっぱなしだし、本やおもちゃは散乱してたし、シンクにはゴミが山済みだった。そんな人と襖1つ隔てただけで生活するのだ。考えるだけでも嫌だから出来るだけ荷物は捨てて欲しかったのに。

 そんな私の心配を余所に、凪は次々とダンボールをトラックへ積み込んでいる。

「全く……」

 私、本当に凪と同居してもいいのだろうか? と、今更不安になってきた。

 心配顔をする私の横で、店長さんが大笑いをしている。

「柚月ちゃんも大変な彼氏と同棲する事にしたな。正直、家は無人より人に住んでもらった方がいいから、こちらとしても助かった」

「だから、彼氏じゃないし、同居です。しかも茶トラの為に……」

 人のいい店長さんは家を破格の家賃で貸してくれた上に、引越しのお手伝いまでしてくれていた。そして、何回「彼氏じゃない」「同棲じゃなくて同居」と説明しても、予想通り笑って流された。

「凪の事頼むな、柚月ちゃん。アイツ、ボーッと生きてるからさ」

「まあ、そうですね」

 熊の様な体でボンボンと私の背中を叩く店長さんを見ていると「カレカノ」問題なんてどうでもいい気がしてきた。

 彼氏、彼女の定義は結局自分たちだけの問題なのだから。


 唯でさえ少ない荷物と、力自慢の店長さんと、働き者の店長さんの奥さんのおかげで、2つの部屋は直に空っぽになった。


 引越しと言っても、所詮は同じ街。

 トラックは瞬く間に新しい家に到着し、またしてもプロの手際のよさで、ドンドンと家具類が並べられていく。

「凪って書いてるダンボールはこっちに、柚月って書いてるのは、あっちに」

 凪は自分でも荷物を運びながら、引越し屋のお兄さん達に指示を出していく。

 大型家具が運び込まれて、少し余裕が出来た私は、その光景をボーッと見つめた。

 さっきから、色々な人が私達の部屋に出入りするので、茶トラと灰色狼は尻尾を丸めて部屋の隅で怯えている。

 私は2匹を連れ庭に出て、1本だけ生えてる柿の木にリードを結んだ。

「ちょっとだけ、良い子にしててね」

 そう言って新居を振り向く。古くて、狭いけど、明るい光が降り注ぎ、見ているだけで温かく優しい気分になれる素敵な家だ。



 家の造りとしては、玄関から入って左手が、初日に訪れた大きな和室と台所。右手にはそれよりも小さな和室が襖で仕切られて2部屋。その小さい方を凪が、少し広めの窓付きの部屋を私が使う事になっていた。

 女の子の方が荷物も多いし、それは譲れなかった。

 そして廊下の突き当りがトイレとお風呂。以上だ。

 トイレは洋式にリフォームされていたけど、お風呂は狭くて、タイル張りで、浴槽は膝を曲げないと入れないぐらいに小さい。

 それでも、大きめの10畳程度の和室に縁側、6畳の台所。凪の4畳の部屋と、6畳の私の部屋。庭は犬が走れる程に広い。

 2LDK、風呂トイレ、広い庭付きの家を家賃2万で貸してくれる店長さんには感謝しなければいけない。

 そんな破格の家賃で犬を庭で飼える場所なんて、他にあるとは思えなかった。


 これ以上の環境は望めないのだから、独断で決めてきたって聞いた時に、あんなにも怒るんじゃなかったと、今更思う。

 冷静に考えてみると、何であんなにも悲しかったのだろう?

 頼りない凪に頼られない自分の弱さ?

 それとも……。

 犬よりも自分を優先してくれなかった寂しさ?

 
 どちらにしても、私はこれからもっとしっかりと、凪の手綱を調整していかなければいけない。