まだ体力が回復しきっていないアキクニが、黒い感情に浸食されて体調を崩したのかもしれない。
 カガミが隣にしゃがんで手を伸ばした途端、アキクニが弾かれたように天を仰いだ。

「うおぉぉーっ!」

 獣のような咆哮を上げて天を睨んだアキクニの表情は、これまでの穏やかな青年のものではなかった。
 激しい怒りに顔を真っ赤に染め、充血した目からは血の涙が流れていた。そして先ほど本人が押さえていた額の両端は、こぶのように盛り上がっている。

 すっくと立ち上がったアキクニは、上流に向かって脱兎のごとく走り去っていった。

「アキクニ様!」
「行くな、カガミ」

 慌てて立ち上がり後を追おうとするカガミを、いつの間に来たのか父王が引き止めた。

「あの者はもはや神ではない。負の感情に支配され鬼に墜ちようとしている。完全な鬼と化してしまえば、おまえの事もわからなくなるだろう」
「それでも放っておけません。わたくしはアキクニ様をお救いしとうございます」
「あの者と共に行けば、ここには二度と帰れぬぞ」
「もとより覚悟の上にございます」

 毅然として言い放つカガミの瞳に強固な意志を感じ取った王は、フッと口元を緩めた。

「では行くがよい。おまえが後悔しない事を祈っていよう」
「ありがとうございます。父上もお元気で」

 笑顔で頭を下げ、カガミはアキクニの消えた上流に向かってかけ出した。
 チリチリと鳴り続ける鈴の音が聞こえなくなるまで、父王はカガミの後ろ姿を見送った。