あの日……。

 お母さんやお父さんや、おじいちゃんやおばあちゃんと、夜になってからそれぞれの気持ちを、よくよく話し合った。

 お父さんたちは、自分たちが楽になりたいばかりにお母さんを責めていたことを、お母さんの前でちゃんと認めてくれた。

 追い詰められていたお母さんの気持ちからも、目を逸らし続けていて済まなかったとも。

 そのことであたしをずっと苦しめていたことにも気がつかなくて、申し訳ないとも謝っていた。

 お父さんたちの懺悔が終わった後、次はお母さんが、泣きながらあたしに謝った。

『ごめんね翠。お母さんのせいで、ごめんね』って、何度も何度も謝ったんだ。

 お母さんのせいじゃない、これは不運だったんだからって言ったんだけど、『それでも謝らせてほしい』と言われた。

 そう言われて、気がついたんだ。

 あぁ、お母さんはずっとあたしに謝りたかったんだよなぁ……って。

 謝ることで、逆にあたしを悲しませることを心配していたお母さんは、『ごめん』の言葉を自由に言うこともできなかった。

 謝りたいのに謝れないってことは、本当に本当に苦しかったらしい。

 泣きたかったのに泣くこともできなかった、あの頃のあたしと同じに。

 なんだか家族開催の謝罪大会みたいになっちゃったけど、晴れて思いっ切りあたしに謝ることが叶ったお母さんは、心境が変化したみたい。

 自分の本当の心を、自分自身が認めてあげるっていう行為は、当たり前のようでなかなかできない、とても大きな意味のあることなんだ。

 家族の間にあった透明で深い溝は、少しずつ埋まっていって、それからあたしへの対応も少しずつ変化し始めた。