「ずっと、ここで待っています。
貴方が私を連れ出してくれるのを、この場所で……」

「葵………」


葵は、柔らかな表情で皐月を見上げていた。

出会ってから初めて見る自然な優しい表情に、皐月は思わず言葉も忘れて見つめていた。

正直、驚いた。

こんなにも柔らかく、穏やかな表情が出来たのか。

そうか、ならば。

もしこれから先、葵を縛る枷が全てなくなれば、一体どんな新しい表情を見せてくれるのだろう。

まだ来てもいない未来に、皐月の想像と期待が大きく膨らんでいく。

葵と共に、未来を生きてみたい。

そして、少しずつ増えていくだろう葵の新しい感情を、ずっと隣で見ていたい。


「必ず、お前を迎えに来る」


鮮やかな色がつき始めた、互いの未来。

それを実現するためにも、葵という一人の女の存在が欲しい。

だから、皐月はしつこいほど、葵に『迎えに来る』という言葉を贈った。

しつこく何度も贈られるその言葉を、葵はそれでも嬉しそうに頷きながら受け取ってくれる。

未来のなかった、葵。

皐月は、葵を未来へと繋がる道の上に乗せた。

未来が生まれ、それに向かって歩いてもいいのだという事実が何よりも嬉しい。


「とりあえず、昼間は人に見つかってしまうから、あまり長居はまずいな。
すまないな、私は一旦天界へ戻る」


皐月は、ゆっくりと葵から離れ、障子の方へ歩み寄る。

そして、少し開いて外の様子を確認した。


「この時間は、婆が境内の掃除をしているはずです。
ちらほら、本殿にお参りする方々もいるかもしれません。
帰る時には、どうか気をつけて下さい」


本当に葵の心配する声に、皐月は柔らかな笑みを見せる。

そして、肩越しに葵を振り返った。


「あぁ、わかった。
心配してくれて、ありがとう」

「い、いいえ……っ!」


皐月の言葉に、葵は首を激しく横に振る。

『ありがとう』

そんな言葉は、葵はあまり言われ慣れないから。

そのためなのか、すごく恥ずかしく感じてしまう。

ありがとう、と言われて恥ずかしいと思うのはおかしいだろう。

でも、普段から言われ慣れない葵には仕方がない。

顔を真っ赤にして俯く葵を、皐月は愛しそうに見た。


「また夜に会おう、葵」


そう愛しげに言い残し、皐月は部屋を出ていく。

葵はそれを名残惜しそうに眺め、やがて口を開いた。


「はい。
今宵もお待ちしています、皐月様……」


皐月の姿も気配も消えた後の葵の言葉。

それは、切なく部屋に響いて消えてしまった。