どれほど、じろじろと見られていただろう。
老婆は小さく息を吐き、開いた扉の先を手で示した。
「さぁ、巫女姫様。
自室へお戻り下さい。
身支度を整えましょう」
「……どこかへ、行く予定があるの?」
『身支度』という言葉に疑問を覚えた葵は、思わず髪を触っていた手を止める。
聞いた葵に、老婆は緩慢に頷いた。
葵は、境内の外に普段は出る事を固く禁じられている。
それはもはや、今さら言うまでもなく。
男との逢瀬をさせないため。
しかし。
今はその禁を破り、外へ出るという。
「どこに、行くの……?」
悪い予感が、葵の胸を過った。
ここを出る。
そんな時、決まって行く場所を葵は一つしか知らない。
硬直して動かない葵を見ながら、老婆は音もなく静かに立ち上がる。
そして、緩慢に口を開いた。
「村へ、向かいます」
「……村に……」
聞こえた言葉に、葵は思わず俯いた。
あぁ、やはり。
悪い予感が的中してしまった。
この予感だけは、当たって欲しくなかったのに。
葵は俯いたまま、ぎゅっと強く唇を噛みしめた。
葵が社を離れ、村へ訪れるのは年に数回。
巫女が日頃から守っている村が平穏であるかを確かめるためのものだ。
しかし、その来訪の日にちは一定ではなく、決まってはいない。
日にちを決めているのは、目の前にいる老婆と村長。
村の状況や天候により、二人が決めるからだ。
葵にとって、この日は。
この世で一番、嫌いな日。
神に魂を捧げる贄の儀よりも。
村で誰かの結婚を盛大に祝っている日よりも。
他のどんな日よりも遥かに勝るくらいに、大嫌いだ。
「巫女姫様」
動こうとしない葵に、老婆が名前を呼ぶ。
催促されているのだ。
早く村へ行け、と。
葵は浅く息を吐き、皐月の羽織りを抱いて立ち上がる。
早く行かなければ、無言の怒りを投げかけられるのだ。
「わかった、行くわ」
葵は頷き、静かに歩き出す。
そして、じろじろと葵の顔を見る老婆の横を通り過ぎ、部屋を出た。
燦々と降り注ぐ、登り始めた朝の太陽。
今の季節は、初夏。
降り注ぐ太陽の光はじりじりと肌を焼き、少し蒸し熱い。
葵は目を細め、手で光を遮りながら空を仰いだ。
眩しいが、爽やかで清々しい日差し。
その光をたっぷりと浴びた簀子の先には、歩く度にじゃりじゃりと音を鳴らす玉砂利の敷かれた境内。
広いそこには青々と生い茂る木々が、ざわざわと風に葉を揺らしている。