「巫女姫様、おはようございます」
ふいに聞こえた老婆の声。
それにより葵が目を覚ましたのは、開かずの間だった。
格子窓から差し込む、柔らかな朝の日差し。
ふわりと吹き込んでくる、まだ少しだけ冷たい風。
外からは雀の愛らしい囀りが聞こえてくる。
「…………朝…………」
皐月と別れてから少しの間、格子窓から見える月を見ていた。
壁に背中を預けて、同じように格子窓から月を見上げた皐月の面差しが忘れられなくて。
眠ってしまうのが、勿体なくて。
寝て覚めたら、この時間は消えてしまいそうだったから。
だから、今だけは。
そう思っていたら自然と、ここにはない皐月の姿を求めるように見つめていた。
けれども、どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
葵は眠たげな目を擦り、ゆっくりと体を起こした。
すると、しゅるりと布擦れの音が耳に滑り込んでくる。
その音を追って視線を下へ向けると、膝の上で皺を寄せている羽織りがあった。
「これは……」
その羽織りは、昨夜皐月が置いて行った物。
まるで夢のように穏やかで幸せな時間。
起きてもこうして、皐月がここにいた痕跡が残されている。
もしかしたら、皐月はわかっていたのかもしれない。
寝て覚めた時、葵が夢であったのだと思ってしまう事を。
だから、夢でないという痕跡を残すために、自分の羽織りを葵に譲ったのだろうか。
「……夢、ではないのね」
葵はぼそりと呟いた。
あぁ、ならば。
ならば、昨夜の約束は。
また会いに来るという、あの約束は。
きっと、夢ではない。
葵は思わず羽織りを握りしめて顔を綻ばせた。
しかし、それを見ていた老婆は訝るような眼差しで見つめている。
しばらく言葉もなく見つめていたが、やがてゆっくりと首を傾げた。
「いかがなさいましたか、巫女姫様?」
問いかける声に、葵はびくりと肩を震わせた。
昨夜の事はきっと、誰にも話さない方がいい。
だって、自分は巫女。
その事を忘れ、交わした約束。
許されない。
もし、知られてしまったなら。
今宵、皐月には会えなくなってしまう。
そう考えた葵は、訝る老婆にしっかりと頭を横に振ってみせた。
「いいえ、何でもないわ、婆」
出来る限り、平静に。
けして、悟られてはならない。
葵は寝起きを装い、乱れた長い髪を軽く手櫛で整える。
そんな葵の姿を、老婆は納得のいかない表情で見つめていた。