座席に呼び出し用のボタンがあった事に安堵して、彼女と自分の注文を終える。

 店員が厨房の方へと戻って行った所で、違和感の正体にようやく気が付くことが出来た。

『急にごめんなさい。出来ればゆっくり話したかったの。

 学食だと、もっと迷惑をかけてしまうから』

「耳が……ってわけじゃないですよね。声が出せないんですか?」

 携帯の画面に書かれた言葉で推測してみたら、彼女は頷いてまた何かを書き始める。

 最悪メニューを指させばいいファミレスとは違って、学食はカウンターで注文を“口頭で”伝えなくてはならない。

 だからファミレスに来たと言うのもあるのだろう。

 言葉を打ち終わったのか、彼女が携帯の画面を向けた。

『はじめまして、わたしは音無(おとなし)唄(うたい)。

 君が言っていた通り、病気で声が出せないの。君の名前は?』

「成宮一人です。『ひとり』と書いて『カズト』って読むんですけど、そのせいで極一部の友人に『ボッチ』なんて渾名をつけられましたね」

 勢い余って言わなくても良い事まで言ったような気がするけれど、音無さんが小さくでも笑ってくれたので良かった事にする。

『なりみや君は、成宮君でいいの? あと、敬語はなくていいよ?』

「あってますけど、敬語は……」

『ため口じゃないと、わたし帰るよ?』

 携帯では遅いと判断したのか、メモ帳を取り出した音無さんが走り書きした言葉をこちらに突きつけた。

 勢いに負けた僕は「う、うん。わかりま……分かったよ」と話し難さを我慢する。

 満足したらしい音無さんが、ペンを携帯に持ち替えた。

『ボッチって事は、本当に一人だったりするの?』

「そうで……そうだね。このボッチって渾名を考えた奴以外とは関わりないし、唯一呼ぶ奴も今では学食でたまに会うくらいの間柄だから。

 本当に名前通りだから、笑えるよね」

『わたしも今は一人でいる事が殆どだから、今からは二人“ぼっち”だね』

 屈託のない音無さんの表情に、図らずも目を逸らしてしまう。

 なんて真っ直ぐな人なのだろうか。皮肉屋の節がある僕には、ある意味苦手な人かもしれない。

「二人ぼっちって事は、これからも相手してくれるって事?」

『何かの縁だと思うし、成宮君さえよかったら、何だけどね』

「悪くはないんだけど、僕は音無さんの事、伊達メガネだって事くらいしか知らないんだよね」

 音無さんが不審そうな、疑いの目を向けるのをみて、自分の失言に気が付いた。

 何か言い訳をしなければと思うのだけれど、頭が真っ白になり、より変な事を口走りそうで何も言葉に出来ない。

『何で知ってるの? 教えてないよね?』

「……講義棟裏の建物に居る、アリスって知ってる?」

 知っていても知っていなくても、アリスの事を話す気はなかったのだけれど、この場をどうにかできる言い訳も思いつかなくて、ついつい口に出てしまう。

 音無さんが首を横に振ったのを確認してから、流れのままに続ける。

「アリスはなんでも屋さんみたいな人で、音無さん……というか、机の上でやり取りをしている人を探しているって言ったら、教えてくれたんだ」

 自分でも言っていて厳しいのは分かるのだけれど、魔法に関する部分を話した所で信じて貰えないだろうし、嘘は言っていない。

 良い顔はされないだろうなと思っていたのだけれど、音無さんは特に怒った様子も無く『そうなんだ』とだけ返した。

「信じてくれるの?」

『話自体は作り話っぽいんだけど、成宮君って今の状況で嘘つけるほど器用そうでもないからね。

 何でわたしを探していたの?』

 信じて貰えた事に安心する。しかし、音無さんはまだこちらを怪しんでいるようで、向けられた視線が痛い。

「あの講義室での授業が楽しみになるくらいに楽しかったから、どんな人なのかなって気になったんだよ。詩を書き終わったら、もうやり取りも無くなるんじゃないかと思って」

 正直に話した俺を、音無さんは品定めでもするかのように見てから『わたしが伊達メガの理由は知ってる?』と尋ねる。

 知らないと返した俺に、音無さんは『ごめんなさい』と謝った。

 何故謝られているのか分からないのだが、他にも言いたいことがあるのか携帯と睨めっこを始めたので、黙って待つことにする。

『成宮君も他の人と一緒かと思って、疑ってごめんなさい』

「どういうこと?」

『わたし、元々軽音サークルでボーカルをしてたんだ。

 これでも、そこそこ人気のあるバンドだったの。文化差でライブもやっていたんだよ。

 だけど、声が出せなくなって、どこから知られたのか男の人がいっぱい言い寄って来たんだよね。「声が出せなくても、俺が守るから」って。

 下心が見え見えな人ばかりで嫌気がさしてたんだ。

 だから、成宮君もわたしの事を知ったうえで、言い寄りに来たのかなって少し思っちゃって。ごめんなさい』

 画面いっぱいの長文を読み終え、音無さんが八木の言っていたバンドのボーカルなのだろうと予想が付いた。その事は胸に留めて置いて、話を続ける。

「伊達メガネは変装のため?」

 音無さんが頷く。

「僕は文化祭を一緒に回る友達も居なかったから、正直軽音サークルの存在自体最近まで忘れてたよ」

『それはそれで傷つくかも』

「ごめん」

 僕が音無さんを知らなかったのだと補強するために言ったのだけれど、逆効果だったらしい。しかし、顔をあげたら音無さんは怒った様子も、悲しんだ様子も無く、むしろ楽しそうにしていた。

 なるほど、傷ついたと言うのは冗談か。冗談でないにしても、言葉ほど傷ついていないのだと思う。

 ホッとしている僕に、何かを感じたのか音無さんが携帯を手元に戻した。

『声の事、私もようやく受け入れられるようになったから、成宮君も気にしないで話してね。

 質問も答えたくない物は答えないから』

 これは何か質問しろと言う事なのだろうか。咄嗟には思いつかないのだけれど。

 音無さんが携帯で文字を打つくらいの時間をかけて、ようやく僕は「じゃあ」と尋ねてみる事にした。

「音無さんの病気は治るの?」

『一般的には、リハビリしたら声は出せるようになるらしいよ』

 歌えるようにはなるの? とは訊けなかった。

 音無さんも治るとは言わなかったので、この判断は間違っていなかったと思いたい。

 音無さんの様子を見ている限り、歌に対して未練があるようには見えないけれど、出来るだけ触れないように、気を遣っていないと思われる質問をしないといけない。

「どんな病気なのかって訊いても大丈夫?」

 当たり前だけれど、こちらが質問をした後、音無さんは視線を下げて紙や携帯に返答を書く。

 間が生まれちょっと怖くなるけれど、返答までに時間がかかってしまうと言う所は親近感が沸いた。僕と音無さんでは状況が違いすぎるけれど。

『正確には病気って言うよりも、喉を使いすぎたみたい。炎症を起こしたり、ポリープが出来たりして、声が出しにくくなってたの。

 普通は喉を休めたら治るんだけど、わたしの場合は度が過ぎていたんだって。

 普通だったら痛さで自制するラインを越えても酷使した結果、声帯自体を切除しないといけなかったんだ』

 読み終わった後も第一声に何を言うかを考える為、画面を見ているふりをする。

 大きなけがや病気とは無縁だった僕には、限界を超えて喉を酷使する痛みは分からないけれど、音無さんはせざるを得ない何かがあったのだろう。恐らくは歌う事に関して。

 どう言葉をかけて良いのか分からないのだけれど、いつまでも黙ってはいられない。

「そうなんだ、教えてくれてありがとう」

 存在しない制限時間に追われて何とか返したのだけれど、何故僕はお礼を言ったのだろうか?

 失礼にならないかと思ったのだけれど、音無さんは一度キョトンと瞬きをしてから、穏やかな顔で首を振ったのでたぶん大丈夫だったのだろう。

 また何かを書き始めた音無さんの前で安堵と共に息を漏らす。

『一つ訊きたいことがあるんだけど良いかな?』

「答えられる事ならいいよ」

『バックの鈴ってどうしたの?』

 鈴と言うと昨日アリスから渡されたものか。

 あまり何も考えずに「大切なものだからって預かったんだ」と返したあとで、音無さんがこの鈴に興味を持ったことが気になった。

「音無さんはこの鈴がどういうものか知っているの?」

 音無さんは困ったように視線を彷徨わせてから、時間をかけて言葉を文字に表わす。

『知り合いが似たようなものを持っていたんだよ。珍しいものだとも言っていたから、気になって。

 成宮君はその鈴がどういうものか、どれくらい知ってる?』

「全く知らないよ。何も教えられずに渡されたから」

『それはね、オークの木で作られた鈴で、単純に木製の鈴だから珍しいって言ってたかな』

 音無さんが軽く説明してくれたけど、オークの木とは何だろうか。

 だが、謎の鈴だったものの正体が少しでもわかった事は、嬉しく思う。

「詳しい知り合いなの?」

『薬学部の子で、薬を作るために植物についても調べているんだって』

 出来れば話を聞きたいけれど、音無さんとは学部も違うし、バンドでの知り合いだろうか。

 だとしたら紹介してとは言い難い。

 話を聞いてとても高価なものだとしたら、管理に支障もでるだろう。

『成宮君にいくつかお願いがあるんだけど、いいかな?』

 考え込んでいる僕の目の前に差し出された画面の文字を読んだ後で、音無さんを見たら、音無さんが首を傾げた。