テキストを閉じて、階段を下がろうとした。
 すると、階段をあがりかけようとした、グレーのスーツを身にまとった長身の女性と目が合った。
 彼女は薄い茶色の瞳にわたしを映し出した。
 彼女は綺麗な笑みを浮かべた。

「ごめんね。今からお母さん、お父さんと一緒に人と会う約束があって出かけないといけないの」
「大丈夫。気にしないで。帰りは何時くらいになるの?」
「分からないわ。早めに眠るなら、戸締りはしっかりとね」
「分かった」

 わたしのお母さんは弁護士をしている。ただ、結婚してわたしが生まれてからは仕事量をかなり減らし、よく家にいるようになった。お母さんの同僚からしたら、お母さんが仕事を減らして家によく居つくようになるのは驚きだったようだ。

 仕事を減らしている大きな一因はわたしという一人娘の存在だ。わたしは今はそこまでではないが、小さい頃あまり体が強くなく、お母さんや瑤子さんがかかりきりとなっていたようだ。今はそこまで手がかからないと分かっていても、どうも仕事を増やすことに踏み切れないでいるようだ。

 ただ、両親ともども仕事の都合上顔が広い。そのため、付き合いが多く、家で食事をとらないことも少なくなかった。今日みたいなのもいわばよくあることだ。

 リビングに入ると、瑤子さんが笑顔で出迎えてくれた。

「今日はわたしも一緒に食べますね。奥様からもぜひそうしてほしいと言われてております」
「そうなの? ありがとう」

 だからこそ瑤子さんがこうして家にきてくれるのだ。
 瑤子さんもわたしによくしてくれた。
 何不自由ない生活を送れているのは今の親があってこそだと思う。

 親が家を空けていたとしても、そういう事情は知っていたし、放っておかれたとかは考えたことがなかった。
 きっとわたしは幸せなんだと思っていた。