さよなら、もう一人のわたし

「あなたが彼女に魅入られたように父も魅入られてしまったのよ。彼女という存在に。彼女の見ていた世界にね」

 あくまで千春の言葉は穏やかなものだった。しかし、その口調がある意味の含みをもたせているような気さえする。

「魅入られるってどういうこと?」

 千春は右手を右の頬に当て、眉間にしわを寄せていた。

「どう言えばいいのかな。うまくいえないけれど、これだけは確実なの。お父さんの生活ががらっと変わってしまった。もしかすると人生まで変わってしまったのかもしれない」

「でも、人を好きになるってそういうことでしょう? 相手とつきあったり、結婚するだけで人生は大きく変わってくるのだから」

 それがわたしの思っていた素直な恋愛に対する気持ちだった。人を好きになったことがないわたしがそんなことを言っても理想論でしかないのかもしれない。

「でもね、それがいいほうに変わればいいのよ。でも悪いほうに変わったらどうするの?」

 千春の言葉にわたしの胸が鈍い音を立てた。
 それは彼女の見てきた重みだろう。わたしにはその答えが分からなかったのだ。