ケルアックの「ロンサムトラベラー」が三周目に達した頃、アヤカはようやく小説を書き終えたようだった。
パソコンから離れ、いつもの生活に戻った様子を察しての僕の見解で、実際に完成した小説を読んだわけではない。というか読ませてもらえなかった。
「他人に見てもらって評価をされて初めて小説の価値が見出されるんだ。」
そう訴えたにも関わらず、アヤカは頑なにそれを拒んだ。前に一度、アヤカが深い眠りについている間____お酒を飲ませたのだが、思いのほか弱かったみたいで、翌朝、トイレで吐き続けるアヤカを介抱しなければならず、今では後悔している____に、パソコンを開こうと試みたが、パスワードを変えられていて、開くことすらできなかった。
アヤカの誕生日を僕は知らない。名前を打ち込んでも、名前を数字に置き換えても駄目だった。この時点でパソコンは僕のものではなくなったのだった。
自分の作品をここまでして見せたくない理由は、僕には理解できなかったが、見られたくないものを無理矢理見ようとするのも、ある種の犯罪のようなもので、僕は手を染めなかった。
アヤカはコンビニのアルバイトを辞め、代わりに喫茶店でバイトを始めたらしい。それ以来、食卓からロースカツ丼も生姜焼き弁当も海苔弁当も消えた。具のないパスタの日もあれば、カット野菜を焼肉のたれで味付けした野菜炒めの日もある。中でも一番多かったのは、絹ごし豆腐で作る麻婆豆腐だった。
アヤカがバイトしている間にも僕は何度もパソコンのパスワードを解読しようと必死だった。4ケタの数字だけとかそういう決まりがあればいいのだが、そうじゃない。僕はただアヤカの書いた小説を読んでみたいだけなのだ。
アヤカの口から発せられる言葉は文学染みていて、どこか深いものがある。趣もある。描写はまるで映像を見ているかのように浮かび上がってくるし、哲学や思想は、僕と似すぎていた。
そんなアヤカの書いた小説は、きっと面白い。引き込まれるはずだ。この幻想世界を作り出したのもきっとアヤカで、知らず知らずのうちに僕は引き込まれていた。そして、そのシナリオ通りのアヤカから求愛を受け、その求愛に僕は____



