僕はコップ一杯のオレンジジュースを飲んだ。アヤカもワードプロセッサーの前で「私も欲しい。」と言うので、ガラステーブルの上に置いてやった。初めて出会った時のように、なかなか手を付けようとはしなかった。



「キミは、小説を何だと思う?」



「嘘の塊だと思う。」アヤカはそう言った。



「嘘の塊なのよ。創作物は全てそう。でも、それに魅了されるのは一体なぜだと思う?」



「わからない。」僕は答えた。



「わからないうちに引き込まれている。そして、読み終わった後にどこか寂しさを感じる。その寂しさを埋めるために新しい本を手に取る。その繰り返しだ。」



 アヤカは手を止め、うんうんと頷きながら腕組みをした。



「なぜ嘘っぱちのもに魅了されるか。それは嘘に見せないように上手くリアルを散りばめているからなのよ。例えば、私が男だっていう嘘をついたとする。でも、あなたは見抜けるわ。私の裸を見たんだもの。ただこれに肉付けをすれば、それはわからなくなる。性同一性障害で、心は女だけど、身体は男として生まれてきた。身体は性転換手術を受けていて女になっている。何なら子供の頃、男だった時の写真を見せれば、きっと信じるわ。この2つの違いは何だと思う?」



「情報量かな。」



「それもあるわ。でも、根本的に違うのは、嘘をつくために嘘を塗り重ねているということなの。絵の具でも塗り重ねれば、濃くなる。嘘が嘘だとわかりにくい上手い嘘になるわ。小説家って職業の人たちは普段から嘘が平気でつけるような人じゃないと、ヒット作を出し続けられないと私は思うの。実体験なんかを書く方がリアルだけど、実体験にも限界があるわ。私の母は、小説家だけど、嘘をつくのが上手かったの。実に巧妙で、私の生みの親じゃないことも随分と長く騙し通すことができた。でも、逆も考えられるの。もしかしたら、私の生みの親じゃないということが上手い嘘なのかもしれないってね。私は知りたいのよ。小説を書くことによって、母の血が流れているのか。これだけで判断するには、材料が足りないかもしれないけれど、それしか調べる術がないもの。」



 僕はそれだけのために小説を書こうと思えるアヤカが不思議でたまらなかった。僕なら怖くてそんなことできないと思う。仮に書けたとして、母親と同じ血が流れているという証明にはならないし、書けなかったとして、母親との血が繋がっていないんじゃなくて、父親の血を受け継いでいるかもしれないのだ。



 つまり、無駄な足掻き。そんなこときっとアヤカも気づいているんだろうが、それでも小説をこうして夢中になって書いているところをみると、好きで書いているに違いない。好きじゃないと小説は書き続けられない。