外は夜風が涼しく、夏がもうすぐ来ることを知らせるように虫が鳴いていた。なんていう名前のどういう形をした虫かは知らないが、風流で、趣があった。



 鴨川沿いまで来ると、月がくっきりと見え、鴨川の水面に移り、いやいや、とてもいい月を見た。まるで、太宰治の「富岳百景」に出てくるあの帰り道のようだった。



 太宰の真似をして財布を落としてみようかとも思った。ただ、この時代に財布を落としたとして、帰り道にそこに落ちている保証はない。文明や科学はこんなにも進歩しているのに、こんなにも不便で危険な国を見て、太宰は何を思うだろうか。小説を書こうという気になるのだろうか。自殺なんてしないで、生き延びてやろうと思っただろうか。こんな世界に絶望して小説さえも書かずにもっと早いうちから死んでしまうだろうか。僕は小さな声で訊いてみた。



「太宰さん、どうです?」



 もちろん、答えは返ってこない。でも、何となくこの地に想いを馳せていると、太宰がフランソア喫茶室に本当に通ったのか、本当に京都に住みたいと思っていたのか、その答えが風の音となって身に染みて語りかけてくるような気がした。



 こんなに素敵な街なのだ。きっとフランソア喫茶室に通ったに違いない。きっと住みたかったに違いない。



 僕は最後までここで財布を落とそうかと考えていたが、やっぱりやめた。きっと太宰も今のこの国を見れば、財布を落としたとしても、血相を変えて財布を取りに走ったはずだ。そして、そのことを御坂峠にある天下茶屋の一室で一人、ニヤケ顔で書いたはずだ。それを読んだ当時の人たちも、未来の僕たちもクスッと笑ったのではないだろうか。



 部屋に戻ると、アヤカはさっきよりも深い眠りについているようで、掛け布団が少し乱れていた。僕はそれを直してやり、電気を消して布団に入った。すぐに眠れそうだった。何度も言うが、本当にいい街だった。