「高性能な機械にでも作られたのかと言われても仕方がないほど、私の家族は出来過ぎていたわ。



 父は政治家で母は小説家。二人とも名前を聞けば顔が浮かんでくるほどの有名人よ。ここで敢えて名前を伏せるのは、何もあなたのことを信頼していないとかそういう意味じゃないの。必要ないのよ。小説だって、そうでしょう?



 母がよく言っていたわ。「小説は誰でも書ける。でも、小説家になれる人は、ただ単に書けばいいってことじゃなくて、書いたものをどこまで削ぎ落とせるかだってことをわかっているからなの。」ってね。まあ、私は小説家になるわけじゃないし、なりたいとも思わないんだけどね。名前を出さない理由は、その必要のないものを削ぎ落としたからに過ぎないって言えば、わかってもらえるんじゃないかしら。



 まあ、察しが付く通り、私はお金に不自由ない暮らしを送っていたわ。ううん、むしろ月末に、欲しい本を目の前にして財布を覗き込む同級生の心情が理解できないほど、私にとって、お金の価値は低かった。



 欲しいものは何でも手に入った。キラキラした文房具も、話しかければそれにパターン化された言葉で返してくれるずんぐりむっくりな鳥のおもちゃも、モンスターを戦わせて育てるゲームもすべてね。



 あれは確か、小学2年生の頃だったと思う。「ああ、私の家って金持ちなんだな。」って気づいたことがあったの。だって、周りは欲しいものがあったとき、それを両親に頼んでも買ってくれないと嘆くもの。私にはその意味が理解できなかった。すべての大人は、常にお金を持っていて、そのお金を使うことによって何でも買えるって思い込んでいたのだから。