三時間ほどで京都駅に着き、そこから南草津駅までの切符を買って、琵琶湖線に乗った。
もうすっかり関西の街で、車内は関西弁が飛び交っていた。懐かしさもあり、それと同時に、不安もこみ上げてくる。足が震えた。吊革を持つ手に汗がにじむ。
里帰りの時はいつもこうだった。大学の休みが取れて、尚且つ父がいない日を狙って帰る。殴り合いの喧嘩をして以来、父とは口を訊いていない。
普通は、どんなに喧嘩をしてもすぐに仲直りするのが一般的な親子喧嘩だろう。しかし、僕たちの親子喧嘩はもう3年も続いている。
自分が悪かったことは僕自身、重々わかっている。ただ、わかっているからこそ、変にどこか意識してしまって、素直になれなかった。話せないなら話せないでいい。別に何か用があるわけでもないし、お願いすることもない。感謝の言葉も今はない。
それがずるずると長引いた結果がこの親子喧嘩になっている。
母から「お父さんが倒れた。」との連絡をもらったのは、アヤカと出会う二カ月ほど前のことだった。長年の重労働で、ストレスから酒と煙草の量が増え、末期のガンになっていたらしい。医者の話では、「よほど我慢していたのだろう。」とのことだった。



