"大丈夫……大丈夫………………

まだ戻れる……大丈夫……

何も変わってない。今までと同じ……"


意識が暗示をかけるようにその言葉を繰り返す。


眠りについていたはずなのに、夢の中でもその言葉が繰り返され、目覚めた今もなお、その言葉を繰り返していた。

ベッドの中で寝返りをうち、開いた目に映ったのは机の上のパスポート。と昨日から電源を落としたままのスマホ。

ゆっくりともう一度瞼を閉じ、意識的に思ったことは、


"出発が今日でよかった……"


今日から2週間、予定していた通り私はイギリスへ行く。


閉じていた瞼を開き、私は半身を起こした。

いつもより重く感じた身体。
そろそろとそれを動かして、私はラグの上に足をついた。

『頭が少し……ボーッとしてるかな………』



コンコンッ



寝不足なのか、ボヤッとした頭を片手で押さえていると、自室をノックする音が私の耳に届いてきた。

「紫音?起きてるか?」
『……ん。起きてるよ』

パパの声がドア越しに掛けられて、それに返事をした私の声を聞いてから、パパが閉じられていたドアを少し開いた。
そこからヒョコッと顔を覗かせて、

「そろそろ支度しないと飛行機の時間に間に合わなくなるぞ」

とまた声が掛けられる。

今日は急ぎの出勤じゃないからか、それ以上私の部屋には入ってこないパパだったけど、すでにベッドから降り、クローゼットの前に私が立っていたから、私が着替えをすることも察したからかもしれない。

「パスポート忘れないようにな」

そう言い残して、パパはそのドアを閉めた。

それをまだボヤッとした感覚のままで見送り、また視線をクローゼットへ戻した。そしてそのドアをスライドさせて、今日着る服へと手をかける。
私が淡いピンクベージュのワンピースを取り出そうとしたとき、その行動を拒むかのように、手が止まった。

ボヤッとしていた頭が瞬時に覚醒されて思い出したこと。


手に触れたワンピースは一先輩が選んでくれた物だった。


父の日のプレゼントを買いに行った日に、そのついでに新しい服を買おうとした私へ、

“月瀬さんは色白だから淡い色が映えるよ。だから、これなんかどぉ?”

そう言ってハンガー越しに私へあててきた服。
そのまま流れるように私を鏡の前へ誘導した先輩が、

“ん。やっぱよく似合う。可愛いじゃん”

とも言ってくれたのが嬉しくて購入したことを、鮮明に頭の中に浮かび上がらせた。


それだけでまた痛んだ心。


おもむろに振り返った先の机の上。
そこにあったスマホが鳴ることはない。

『あんな帰り方をしたから、変に思ってるよね……』

いつの間にか当たり前のようにしていた電話とメールだったけど、先輩から事実を告げられるのが怖かった私は、その電源を入れることはしなかった。

『怖くてもそれは変わらないのにね……』

自嘲気味にそうつぶやいて、私はクローゼットからその隣にあった別の服を取り出し、それに着替えた。


**