『先輩、ここ教えてもらっていいですか?』

中央棟の図書室で、来週に迫った期末試験の勉強のために、今日からは机の上には教科書と課題ワークが広げられている。
中でも数学が苦手な私は問題の途中で行き詰まり、一先輩へと助けを求めた。

「ん?どれ?」

隣に座っていた先輩が少し顔を近づけて、私の手元のワークを覗き込んできた。
一瞬肩が触れ、目の前にきた先輩の横顔に大きく心臓が跳ね上がる。その先輩のつけている香水が私の鼻をくすぐり、吐息でさえも感じるキョリに恥ずかしさが湧き起こった私は軽い目眩に襲われた。

「あーこれはこの公式を使うといいよ」

先輩がそう言いながら、右手に握られていたシャーペンでワークの空白の部分へスラスラと公式を書き込んできた。
その時姿勢を変えた先輩が、私の座る椅子の背もたれへ左手をかけたのがわかり、右手は器用にそのまま紙の上に文字を列ねていく。

その一挙一動を私は黙って見つめていた。

聞いた時よりもすごく近くなったキョリが、まるで横から抱きしめられているような錯覚を起こさせて、恥ずかしさはあるけど、嫌じゃない。

咄嗟にそんなことを考えてハッとした。

『あ…あの…』
「ん?」

私の声に反応した先輩がそのままの姿勢で顔を動かした。

「ぅわっ…」

目の前にあった私の顔に驚いてパッと離れた一先輩の身体。

触れていたわけではないけど、確かにそこにあった熱が瞬時に冷えていくのを感じて寂しくなった。

「ごめんな」

申し訳なさそうに謝った先輩。

『いえ…大丈夫です。
ちょっと恥ずかしかったですけど、嫌じゃなかったので』
「え!?」

私の言葉に驚いた先輩が私を凝視してくる。

それを見て、自分が今何を口走ったのかが頭の中へリピートされた。


“嫌じゃなかった”


ボッと顔が火照るのがわかり、即座に一先輩から私は視線をそらした。
そのままうつむけた顔に咳払いをするように握った左手を口元へあてる。

「俺も嫌じゃなかったよ。
だから自然に今の行動が出たんだと思う」

私は横から聞こえてきた言葉に顔を上げて、先輩の方へ振り向けば、優しい目をした先輩が私を見つめていた。

「…でも近づきすぎだな。気をつけるよ」

そう続けて言われた言葉が私の胸をキュッと締めつけた。


冷えた熱に感じていた寂しさに、切なさまでもが混ざる。


それと同時に心の奥にあったものが、以前からじわじわと溶け出していたことを私はさらに感じた。

一先輩と日々を過ごす度に光がそこへ射し込んでくるような感覚はあたたかく、そこを照らして溶かしてくれる。

それがとても心地よくて、この感情がまだ何なのかよくわからないけど、ずっと傍にいることが出来ればいいな。と願っている私がいた。