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教室を出た俺は足早に階段を下り、昇降口へと向かう。
途中で話しかけられないように音楽機器を操作し、もちろん耳にはイヤホンがはまっていた。

案の定いくつもの視線を感じたけど、俺の示す拒否がわかるかのように、誰も声はかけてこなかった。

一言も発しない俺に、男達だけが無言で手を上げる。
俺はそれに応えながら昇降口を後にした。


まだ日が落ちるには十分早い時間の中庭を通りすぎた後、スマホに落としていた視線を何気に前方へ向けた。


"…………………"


正門前に見えた人影に、俺の目が見開かれる。

思わず立ち止まってその姿を凝視した。

無意識にイヤホンを外した手。

それでも瞬時に全ての音が消え、時間が止まった感覚にとらわれた。



"あの後ろ姿……"



考えるよりも先に身体が動き、俺はその場から駆け出していた。



「待って!!」



追いついた瞬間、その目の前の後ろ姿の肩に触れてしまった俺の手。


"何やってんだ俺…"


自分でもその咄嗟の行動に驚いた。

直後、まるでスローモーションでも見ているかのように振り返った後ろ姿。


「…………っ」


俺の目に映し出されたその容姿に、息を呑むのが自分でもわかった。



透き通るような白さの肌。
長い睫毛に縁取られたグレーがかった大きな瞳。
スッと筋の通った鼻に、小さく赤く色づく濡れた口唇。
頬はわずかに桜色を帯びていて………



"ヤバぃ…"



情欲のような激しい衝動が俺の中に湧き起こる。



"俺のモノにしたい"



『あの……?』

目の前の彼女の甘い声が俺の耳をくすぐり、聞き覚えのあるそれに嬉しくなる自分を感じた。


"やっぱり昨日の…"


「……一先輩ですよね?」

その甘い声を遮るように、隣に立っていた女が口を開いた。
そちらへ視線を移すと、怪訝な、警戒するような表情が俺を見上げていて、


"あー…俺のこと知ってんだな…"


と、すぐに悟って心の中で苦笑する。

しかも思わず引き止めてしまったことに少なからず焦っていた俺は、このあとどうするか考えていたけど…

友人であろう女から続けて発せられた言葉に、それは別の思考に塗り替えられた。

「紫音に何か?」



"月瀬紫音"



仙ちゃんの声が頭の中にこだました。



"紫音"



その名がストンッと心に落ち、響き染み渡る。

確証のなかった可能性に、偶然にもつながりがあったんだとわかった俺は、自分の中で二人の人物が同じであったらいいのに…と、どこかで思っていたことを自覚した。

妙な安心感を覚え、自然と上がった口角。

「ネクタイ…月瀬さんが届けてくれたんだろ?
お礼が言いたくて。
ありがとな」

そう言いながら俺は彼女へ視線を戻した。
思惑の切り換えの早さに、咄嗟に出た言葉とはいえ自分でも感心する。

キョトンとしていた顔が和らぎ、言葉はなくとも微笑んだ彼女。


それを見て、高鳴った俺の鼓動。


「届けてくれたのが月瀬さんで……マジ助かった。4本めだったからさ」


"何を言ってるんだ俺は…"


何のことかわからないのは当然で、彼女が首を傾げてくる。
その表情と仕草にも目を奪われそうになって…


"マジ、タンマ……何なの…このコ……
俺、もしかしなくてもかなり緊張してるよな…"


フッと軽く息を吐き、

「こっちの事情だけどね」

と、俺は自嘲するように続けて言った。