大人にはなれない


「飛田さんおはようございます!」

その中の一人、いちばん手前で小学生に算数を教えていた男の人に中村は挨拶する。


「おはよう紗綾ちゃん、久しぶりだね。自分の勉強も忙しいだろうに、今日は手伝いに来てくれてありがとう」
「飛田さんこそ、大学4年生って卒論とか就活とかで忙しいんじゃないんですか?学校の方は大丈夫なんですか」


知り合いらしく、中村は砕けた様子で飛田って人と話し出す。


「うん、まあどうにか。今日は気分転換に来たんだ。そういう紗綾ちゃんこそ、受験勉強は順調?」

大学生らしき飛田さんの言葉に、中村は冗談っぽく顔をしかめる。

「わー。そのことはあまり聞かないでください!……それで飛田さん、今日はこの人、見てもらっていいですか」

『この人』と言いながら、中村は飛田さんの前にぐいっと俺を押し出す。


「ああ、彼が紗綾ちゃんが言ってた子?」
「じゃあっ!お願いしますね!あたしは、低学年の子のドリルの丸付け手伝ってきますっ」


そういって中村はさっさと俺から離れてしまう。全く面識のない飛田さんの前に立ったまま、まったく状況が呑み込めず居心地の悪さに困惑していると、飛田さんは手前に空いていた席に俺を座らせようと促してきた。


「さて、敷島くんだっけ?」
「………なんで俺の名前知ってるんですか」
「紗綾ちゃんから聞いてるからだよ。君は紗綾ちゃんと同じ中学三年生、受験生なんだよね?僕は飛田浩介。慶城大学理工学部4年生です、よろしく」


そういって飛田さんはにこやかに笑う。背がちいさくてあまり目立つタイプじゃなさそうだけど、いかにも温厚そうですごく人の好さそうな顔した人だ。


「じゃあ座って。まず何を勉強したい?」
「勉強?」
「この塾に勉強しに来てくれたんだろう」
「………あの俺、塾って言われても金とか持ってないんですけど……」


俺の言葉に飛田さんは笑う。でも嫌な感じの笑みじゃない。けど自分の置かれている状況がさっぱり分からず、つい睨むように見ると、飛田さんは苦笑した。


「紗綾ちゃんは何も知らせてなかったのかな。ここは無償の学習塾なんだよ」
「無償?……わざわざタダで勉強教えて、なんかメリットでもあるんですか」


『無償』『無料』『タダ』という言葉はいつどこで聞いても胡散臭い。

前に息吹から、少子化だから今はどこの塾も生徒の取り合いをしているって聞いたことがあったのに、無料で開いている塾があるとか意味が分からない。つい警戒するような目を飛田さんに向けていた。

でも飛田さんは目付きの悪い俺に嫌な顔をするでもなく、穏やかな表情のままだ