「あのね、美樹くん。連絡行ってなかった?今日はひまりちゃん、もうお迎え来てるのよ」
「迎えって……まさか母さんじゃないですよね?」

まだ腰にコルセットを付けていて歩くのがしんどそうな母さんが、ここまで歩いてこられるとは考えにくかった。

「由愛が来たんですか」

たしか由愛は今日レジ打ちのバイトは休みだと言っていた。

高校に進学してからバイトと勉強の両立が大変みたいで、土日も働き詰めの由愛は「さいきんひまちゃんと遊んであげられてないなぁ」と申し訳なさそうに言っていた。もしかしたら今日は、学校帰りにひまりをスーパーにでも連れて行って、好きなお菓子でも買ってやってんのかもしれない。


「なんか由愛たちと行き違ったみたいですね。じゃあ先生、俺帰ります」
「あ、美樹くん………っ。由愛ちゃんじゃないのよ」
「え?」

帰ろうとすると、先生が呼び止めてくる。森先生は俺の反応を探るようなにこっちを見てくる。


「由愛じゃない……?………じゃあ誰がひまり迎えに来たんですか」


園児を家族以外に引き渡すのは、原則禁止のはずなのに。他に誰が迎えに来られると言うんだ。


「大丈夫よ、そんな怖い顔しないで。………お母さんが電話で今日は美樹くんでも由愛ちゃんでもなくて、別の人が迎えに行くことになったって言っててね。イレギュラーな対応だったから、身分証を提示してもらってからひまりちゃん引き渡したのよ。それにさっきちゃんとひまりちゃんがお家に付いたって確認の電話もお母さんから貰ってあるから心配ないわ」



そこから先、どうやって会話を切り上げたのかも覚えていない。俺は嫌な予感と一緒に駆け出していた。


まさか。まさか。まさか。


団地まで駆けて行ってただいまも言わずに家に飛び込むと、玄関の足元にケバケバしい色した下品なヒールが転がっていた。玄関と居間を仕切る扉の向こうからは、げらげらと耳障りな笑い声も聞こえてくる。睨むようにその曇りガラスの扉を見れば、ぼんやりとその姿が見える。


既にピリピリしはじめていた神経を鎮めるため、大きく深呼吸した後で俺は居間に入っていった。


「あ、美樹くん」
「美樹、おかえりなさい」

狭い居間には、制服姿の由愛と母さん、遊び疲れたのか座布団の上でうたた寝をしているひまりがいた。そしてもう一人。丁度入って来た俺に背を向ける位置で座っていたヤツがいて、こっちに振り向いた。


「…………あれ?美樹?」