愛を囁くくせに、空っぽな瞳をした彼。

誰にでも笑いかけて誰にでもやさしくするあの人が、誰か一人のものになるなんてことが、あるのだろうか。

私は、彼のたった一人になりたかった。


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少女漫画に出てくる女の子たちはいつだって、魅力的な男の子に選ばれる。クラスでも人気者の彼が平凡な女の子に恋をする、なんていうのは、ありきたりな物語ではあるけれど、誰もが一度は、そんなシチュエーションに憧れたことがあるんじゃないだろうか。

私は、忘れていた。きっと多くの人が忘れている。漫画や小説で描かれるのは、選ばれたたった一人の物語。ヒロインの女の子は選ばれた女の子で、その陰では、選ばれなかったたくさんの女の子が泣いているんだ。


ヒロインの物語はいつだってハッピーエンド。その魅力でヒーローのたったひとりに選ばれる。でも、平凡なわたしはヒロインになることはできなかった。


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少女漫画の鉄板といえば、どんなシチュエーションが浮かぶだろうか。アイドルとの恋?極道の彼?

少し現実味がない。

学園の王子様、実は御曹司の生徒会役員

そんなところが妥当だろうか。

現実主義で分不相応な恋に夢中になる気になれないわたしに、告白してきたのは学園の、とまではいかないけれど、クラスの王子様だった。


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彼は、とても魅力的な人だった。柔らかそうな茶色の髪、きらきらといつも悪戯っぽく輝く瞳に、くしゃっとした笑顔。背が高くて、運動神経が良くて、頭もよくて。自然と人が周りに集まり、誰もが彼の視線を欲する、そんな人だった。

高校2年生の時、放課後の教室に呼び出された。

何か気に入らないことでもしてしまったのだろうか、これからリンチでもされるのだろうかなんて、失礼なことを考えたりもした。


彼の目に留まるほどかわいいわけでもなければ悪目立ちするわけでもなく、いい意味でも悪い意味でも影が薄い私に、きらきらとした世界で生活している彼が見向きもするはずがない、と思っていたから。
けれど、彼はわたしに告白をした。

「俺と、付き合ってくれる?」

夕焼けに照らされた彼の真剣な表情は、芸術作品のように見えた。その綺麗な唇から放たれた言葉が信じられなくて、驚きのあまり間抜けな顔を晒すと彼にくすくすと笑われた。あまり見たことはなかったけれど、笑った顔は案外かわいらしいのだと、そんなことを思ったりした。

こうして付き合うことになったわたしたちだったけれど、最初の数日は彼に告白されたことが夢ではないかと確認することが日課となった。鏡の前で頬をつねるわたしを、姉が面白いものを見るようにしげしげと見つめるのも日課となった。

しかし疑っても疑っても、彼からのメールは毎日来るし、週に2回は電話がかかってくる。そして毎日放課後になると、あの魅力的な笑顔で「帰ろう」と誘いに来るのだ。

なるほど、どうやらあれは夢ではないらしい、と付き合って1か月が過ぎた頃、ようやく現実を認識した。

わたしに微笑み、メールを送り、電話をして、毎日一緒に帰る。まるで恋人同士のようだ、なんて言って恋人同士だよ、と笑われたりもした。
幸福な時間だったんだと思う。彼の周囲への振る舞いさえなければ。


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彼の周りには自然と人があつまり、誰もが彼の視線を欲する。それは男の子だけでなく、女の子も同様だった。彼の気を引こうと、彼の好きなものの話をし、彼の名前を呼び、彼に触れた。それは、付き合う前もそうだったし、わたしたちが付き合いだしてからも変わることはなかった。彼も周りも何も言わず、当然のようにしているから、そういうものか、と納得することにした。


わたしを恋人にしたのは、女の子たちをあしらう理由にするためだったんじゃないかと思い始めたのは、わたしが彼とのお付き合いを現実だと認識してからさらに1カ月ほど経った時のことだった。彼と話し、彼に触れ、彼の魅力に虜になった少女達は、最後は彼に告白をした。彼はいつもほんの少し申し訳なさそうな顔をして、少女達に謝罪する。

「ごめんね、勘違いさせるようなことしちゃったかな。俺、彼女一筋だから、君とは付き合えないんだ。」

彼にふられた少女達は、決まってわたしに刺すような、鋭い視線を向けた。人の悪意に慣れないわたしは、困惑したような微笑みを向けるしかなかった。

そうして告白された日には、彼もまた、困ったような顔をこちらに向けて、また告白されちゃった、なんて報告をするのだ。ごめんね、俺にはそんなつもりはなかったんだけど。相手の子に、勘違いさせちゃったみたいで。俺には君だけだから、安心してね。そんな言葉を添えて。

「大丈夫、わかってるよ」

わたしはいつも、笑ってそう答えることにしていた。


彼がその困ったような顔の裏で、他の女の子と手をつなぎ、腕を組み、キスをしていることなんて、もうとっくに知っていたけれど。