「人違いなんかじゃねーよ。おまえに……嶋田波瑠に用がある」
はっきりとした彼の声で呼ばれたのは、紛れもなく私の名前。人違いでないことを証明するために彼は私のフルネームを告げたのだろうけど、それはまた私を驚かせるものとなった。
「な、何で私の名前……」
知ってるの? この人が、どうして。
下の名前は初めて昇降口で会った日に航平くんに呼ばれたから、あのときずっとそばに居た彼なら覚えていた可能性がある。けど、この先輩の前で苗字を人に呼ばれた記憶はない。
それなのに苗字まで知ってるなんて……まさか調べたのだろうか。何のためにかは分からないけれど、仮にそうだとすれば、もともと変な人だと思っていたこの人がますます怪しくなってくる。
しかも用があるって、一体……。
警戒してじりじりと後ろに進んで距離を取る。その姿があからさまだったのだろう。先輩は苦笑するように息を吐いた。
「そんな警戒すんなよ。別に怪しいもんじゃねーから」
「怪しい人でも、自分のことは怪しくないって言いますよね……?」
「でも本当にそうなんだから、そう言うしかねーだろ。……あー、もう、何を言えば怪しくないって信じるんだよ」
髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、途方に暮れたように困った顔をする。そんな彼の顔は、演技などではなく本当に困っているようにも見えた。
でも今までの彼の行動が謎だっただけに、こうして至近距離で向かい合っている今、警戒は簡単には解けない。今この瞬間も彼の意図が分からないからこそ、余計に。
怪しくないと信じてもらうための要素を必死に考えていたのだろう。先輩は数秒難しい顔で黙りこんだのちに、そうだ、とひらめいたように表情に光を宿した。


