息をするみたいに泳ぐなんてもう無理なんだ、と悲観して瞼を強く閉じ、息が詰まってきたその刹那。
――『波瑠が、好きなように泳げばいい』
意識の遠くで高坂先輩の声が響いた。まるで溺れている私の腕を引いて水上へと引き上げてくれるように、息継ぎを促すように、それは私の感情を掬い上げる。
「……ふう」
ゆっくりと、瞼を上げた。同時に喉の奥で詰まっていた息を一度吐き、それから酸素を求めて肺に吸い込む。
息苦しさは、感じなかった。代わりに耳の奥でずっと、先輩の言葉が再生される。
水面から光を降らすような温かみを持つそれは、水底でうずくまっている私の心に優しく語りかけているようだった。ゆっくり浮上しておいでと、手を差し伸べながら。
「……っ」
気が付くと、誘われるように身体が動いていた。水の世界と一つになりたいという逸る思いが、プールを歩くのではなく泳ぐことを求めている。
先程までよりぐっとスピード落とし、水を穏やかに掻いて泳ぎ始めた。今一番、自分が泳ぎたい速さで。水に身を任せるようにゆったりと進む。
水槽の中の魚が尾ひれをゆらゆらと優雅に揺らすように、水飛沫や音が出ないように静かに泳いだ。
この泳ぎ方でしばらくプールを往復していると、次第に懐かしい感覚が水面に落ちる滴のように波紋を広げた。
水色の世界に染み込んだ記憶が、透明な水を通して私に舞い戻ってくる。それは思い出と化した楽しくて苦しかった断片の数々ではなく、いつの間にか私自身が忘れ去ってしまっていた大切な心の一部。
スイミングスクールに通っていた頃、練習の前後の余った自由時間に、いつもこうやってゆったりと泳いでいた。そう泳ぐのが好きだった。
練習の一環で速くだったり、一定だったり、ゆったりだったり、様々な速度で泳いでいたけど、私はゆったりと浮かぶように泳ぐ時間が一番好きだったんだ。


