ここで息をする



人の邪魔にならないようにとプールの端をのろのろと歩き出した私の目は、いつしか親子の姿を捉え続ける。

初めて自分の力だけで泳げたとき。泳げる距離がどんどん伸びて、速さだって自分の思うままになっていった頃。私もあの女の子と同じような顔で笑っていたのかなと、自分の過去の顔を朧気に想像してみた。

だけど、上手くイメージ出来なくて。代わりに水の世界に置き去りの記憶が、自分の胸元の高さまであるプールの水面からクリアになって私に迫ってくる。


水泳を習い始めてから中学生になったばかりまでの、ただ楽しく泳いでいた頃の記憶は、今思い出しても苦しくなったりはしない。

だけどそれ以降の水泳をやめるまでの約2年間の記憶は、襲いかかってくるようになった息苦しい感覚は、思い出すのも嫌になるぐらい苦いものだ。

好きだって、楽しいって。そう思いながら泳いでいたはずなのに、その気持ちが押し潰されてしまったんだ。

息苦しささえ知らずに済んだのなら、私はきっと今だって――水泳を、胸を張って好きだと言えたのに。


ふいっと、親子から目を背けた。まるで過去の自分から逃げているみたいだなと嘲笑しながら思ったけれど、致し方ないことだと自分に言い訳した。好きな水泳を手放し、好きな世界からも逃げた私には、すっかり逃げることが癖になっているのだから。

どんなに体育の授業で泳いでも、撮影で泳いでも、練習で泳いでみても、やっぱり息苦しさの根本的な原因はずっと私の中に在り続ける。

泳いでいたって、私が望むように……まるで息をしているかのように泳ぐことなど、もう出来やしない。それはこの先ずっと続くのかもしれないと、水泳をやめたときから薄々思っていることだった。