ここで息をする



約11年間、スイミングスクールで競泳をやっていた私には、ただ遊びで泳ぐという感覚がひどく鈍っているように思う。

もちろんスクールに通い始めた頃はプログラムの中で水に慣れ親しみ、遊びという感覚で泳いだりしていた。でも、人並みに泳げるようになったあとはどうだっただろう。

より綺麗なフォームで、より速いスピードで。現状の泳ぎを上達させるために猛練習する時間は、いつしか遊びという次元を超えていった。

次第に所属するコースも上級者向けへと変わり、同年代や水泳歴が近い人達を意識しながら切磋琢磨し、その集団から抜け出すことが暗黙の目標になっていたように思う。

あの子よりタイムが速くなった、大会で優秀な成績を収めた――そんな目に見える数字による物差しが、気が付くと自分の周りを囲むように張り付いていた。

それが決して、ただの苦だったわけじゃない。誰かと比べて自分がより上手く泳げるようになったことを実感すると素直に嬉しかったし、もっとベストタイムを縮めたいと欲が膨らんで、そのために必死に練習に励んだりもしていたのだから。

……ただ、その思いに自分の実力がついてこなくなったとき。身近な人達がどんどん自分を置いて先へ進んでいく背中を見つめることが増えたとき。

ふと我に返り、自分が水の世界に求めているものと現状が食い違ってきていることに、喪失感を伴って気付いてしまったのかもしれない。

私、本当は、もっと自由に――。


「やったぁ! ビート板なしで初めて泳げたよ!」

「すごいねユカちゃん! 頑張ったね!」


考え事をしながら泳いでいるとまたあの息苦しさが迫ってくるような嫌な気配を感じて、一度泳ぎをやめた。するとそんな私の耳に、自然と入ってきた誰かの会話。

隣のレーンを見遣ると、小学校低学年らしき女の子とその母親らしき二人が喜びに溢れた表情で向かい合っていた。