「もういいっ。そんなに旅行に行きたいなら鶴さんが1人で行けばいいよ」

「小春さん、こんなくだらないことで怒らないでよ。旅行は小春さんも来てくれなきゃつまんないよ」

「くだらないこと!?」


本当は、鶴さんが言ってくれた「小春さんも来てくれなきゃつまんないよ」という言葉が嬉しかった。
でも、その間の言葉がどうしても聞き捨てならなくて。


ダメだと分かっていながら揚げ足を取ってしまった。


「知ってた?金銭感覚のズレって、今のうちに修正しないと結婚したら大きな溝になるんだよ」


ここまで言うことない。
頭では分かっていても、口が動いてしまう。


「お互いに違う部分はすり寄せていかなきゃ。それが出来ないなら、鶴さんとは結婚出来ないからっ」


一瞬、張り詰めた空気になった。
困ったように眉を寄せて笑っていた鶴さんは、もう笑っていなかった。


しまった、と思った時にはもう遅かった。


「どうして僕だけが小春さんにすり寄せなきゃいけないの。小春さんだって僕の気持ちに少しは歩み寄ってくれなきゃいけないんじゃないの?」


鶴さんが、怒った。
怒らせてしまった。
静かな口調で、穏やかに諭すように怒る。
長年の付き合いで2回ほどしか見たことのない、鶴さんの怒った顔。


それに、彼が言っていることはもっともだ。
私の意見ばかり押し付けたのでは話し合いなど出来るはずもない。


謝らなきゃ、謝らなきゃ━━━━━。


「節約を頑張ってる小春さんに、笑ってほしくて旅行を提案しただけなんだ。でも、もういい。忘れて」

「鶴さ……」

「プロポーズしたことも忘れて」


何を言われたのか、理解出来なかった。
朝ごはん用の目玉焼きを焼こうと卵を2つ右手に持っていたのだけれど、1つ落として割ってしまった。


ショックのあまり言葉が続かない私をよそに、鶴さんはリビングから斜めがけのショルダーバッグを持ってくると、何も言わずに出ていってしまった。





手に残った卵1つを冷蔵庫に戻し、落としてしまったものは床を綺麗に拭き取った。


小さな冷蔵庫に、卵は1つ。


朝ごはんなんて、食べる気にもならなかった。