知っていたわけではなかった。ただ共通の友人から、彼が私ではない女性と親しげに歩いているのを目撃したと報告を受けていただけだった。まだ確信があったわけではない。だから私は今日、何も言わずに彼との食事を受け入れたのだ。だけれど誘いの電話の時点で彼の様子が違うのが分かった。食事中もまるで上の空で、フォークを何度も取りこぼしていた。そしてその何時間かのあいだに私の中の疑いは確かなものに変わり、それに比例するように心が冷えていくのを感じていた。

 視界が翳ってくる。止まない雨は町をどんどんと凍えさせていき、温かな車内との温度差で、窓が曇る。


 意図はなかったのかもしれない。だけれど薄く、浮かび上がったハートマークの跡は意思を持って私に語りかけていた。だから答えることにした。腕を上げて窓ガラスに指を這わす。


「何について言っているのかを話して」

 彼の方を見ないまま私は言った。息を詰まらせたような音の後に彼の声が聞こえてきた。


「君を裏切った。……ごめん」

 私は振り向かない。


「今は後悔している。君とやり直したい」

 短い言葉が雨音で途切れる。何も聞こえないような気がした。

 腕を下げて、ドアに手をかけた。一度だけ振り返って彼を見る。瞳が震えていた。可笑しくって、私は微笑んだ。


「彼女、英語は得意?」

 え? と驚く彼を置いて外に出る。私を呼ぶ声はきっと雨の音でかき消されたのだ。だから私は歩みを止めなかった。

 次に町が凍えた日に彼女は気付く。


 浮かび上がる文字ごと、貴女にあげる。






 曇る

 了