遠くの光にふれるまで




 瀬井さんとの会話を止めひのえさんの方を見ると、まだ目を見開いたまま固まっている彼は静かな声で「おまえちょっと俺を殴れ」と。意味不明なことを呟いた。

「ええっ?」驚くわたしと。

「頬と腹どっちがいいですか」普通の瀬井さん。

「明日総隊長んとこ行くことになってるから腹」ひのえさんも普通に選択する。

「分かりました、腹ですね」

「ちょ、ちょっとちょっと、待ってください! 殴るんですか? 何故!?」

 拳を握って早速ひのえさんに近付く瀬井さんを制止する。

「殴れとの命令ですので」あっけらかんと、瀬井さんが言う。いや、従順か!

「ですよね、副隊長」

「ああ……。仕事中なのに夢を見ているようだから、目ぇ覚まさないと……。今日中にこの書類の山片付けねえといけないし……」

「いや、あの夢ではないのでしっかりしてください!」

「……じゃあひとついいかな」

 ひのえさんがぼんやしりた視線を瀬井さんに向けた。かと思えば急にしっかりした声で「瀬井、離れろ」と瀬井さんを睨みつけた。
 十八年経っても、嫉妬深いのは変わらないようだ。

 そして瀬井さんがわたしから離れるや否や、デスクの書類をまき散らしながらこちらに歩み寄って、激突するようにわたしに抱きついた。

 懐かしい香りが、鼻腔をくすぐる。

「……若菜」

 名前を呼ばれるのも、十八年ぶり。

「忘れるわけねえだろ……若菜、会いたかった……」

 その言葉を聞いたらようやく安心して、ひのえさんの背中に腕を回した。
 さらに身体が密着して、頭のてっぺんんから足の爪先まで、幸福で満たされていくような感覚を味わった。

 良かった。憶えていてくれた。
 そればかりか、

「探しに行ってやれなくてごめんな……情けない男でごめんな……」

 わたしを探そうと思っていてくれたなんて。
 こうしてまた、抱き締めてくれるなんて。

「いいんですよ。だからわたしがこうやって会いに来たんですから」

 ひのえさんの身体が小刻みに震えている。

「……ありがとう。こんな俺に会いに来てくれて、ありがとう……」

 声も震えていた。泣いているんだと思った。
 だから彼の背中を擦って笑った。

「そりゃあ会いに来ますよ。どうしても伝えたかったんです。愛してますって」

「……俺も、おまえを愛してるよ……。十八年間、忘れたことはなかった……」

「ふふ、ありがとうございます」

 こんなに幸せな言葉は、きっと他にない。嬉しくって、また笑った。

 ふと見ると、横に立ったままだった瀬井さんが、口を開けたまま固まっていた。
 上司の告白シーンなんて滅多に見られるものではないから仕方ないけれど。ごめんなさいの視線を向けたら、瀬井さんは別の意味に捉えたようで、はっとして頭を下げ、慌てて執務室から出て行った。