若菜さんは頷いて、静かに口を開く。
そして俺は、出会って八年にして、初めて若菜さんの過去を知ることになった。
「わたしのおじいちゃんも胃癌だったの。わたしと同じ、スキルス性。見つけにくくて進行が速くて。見つかったときにはもう手術もできなかった」
「……そう、だったんすか……」
「うん。それでも家族は諦めきれなくて、無理矢理抗がん剤や放射線治療を受けさせた。入退院を繰り返して、何度も何度も通院して、山ほど薬を飲んで。おじいちゃん、相当つらそうだった。昔から頑固で、泣き言ひとつ言わなかったおじいちゃんが、どんどん元気を失くして。みるみるうちに憔悴して。最期の一ヶ月は口も聞けなくなって、起き上がれなくなって、楽しいことや好きなことを、何にもしないまま逝ってしまった」
「……」
「まだ死んでほしくないからって無理矢理治療を受けさせて、あれもこれも禁止して、ベッドに縛り付けて。そこにおじいちゃんの意志はなかった。家族の意志だった。家族の我が儘だったなって。そう思ったのは、つい最近」
「……」
「お父さんは交通事故に遭って、大怪我して。何度も何度も手術して、身体中に針やチューブをさして、たまに意識が戻ると絶叫するくらい痛がるから、いろんな薬を与えられて。でも治療の甲斐なく、激痛の中で逝った。突然の事故だったから、やり残したことはきっといっぱいあったと思う。お父さんの部屋には読みかけの小説や、作りかけのプラモデルや、整理中の写真や新聞の切り抜き、旅行雑誌が溢れてたもの」
「……」
「お母さんは、おじいちゃんの闘病やお父さんの看病をして、わたしを育てるためにパートを掛け持ちして、過労死したの。やりたいことも欲しいものも食べたいものも全部我慢して、楽しいこともしないで。亡くなったとき、お母さんはげっそりした、悲しそうな表情だった」
「……」
「だから、せめてわたしは、楽しいことややりたいことをできる限りして、気持ち良く向こうへ行きたいなって。病院のベッドの上で寂しく過ごすより、みんなと笑って過ごしていたい」
初めて聞いた若菜さんの過去に、一瞬思考が停止した。
でもすぐに、こんな考えが頭をよぎった。
「……死ぬのが、怖くはないんすか?」
若菜さんは首を横に振る。
「そりゃあ怖いよ。生まれるのも死ぬのも、人生で一回きりのことだからね。予行練習ができないから想像もできないし」
「予行練習って……」
怖いと言うわりに、話の内容はいつも通り。これが若菜さんの良い所でもあるが……。
「だけど死んだら、向こうへ行く。それだけのことだから。六界どこに送られるかは分からないけど、どこかでは生きていけるから」
だからとうごくん、と若菜さんは続け、俺の顔を見た。
「残り数ヶ月、いっぱい楽しいことしよう」
穏やかで優しい笑顔。俺はこのひとの笑顔に、どれだけ救われたことか。
残り数ヶ月で、俺はこのひとに、どれだけ恩を返せるのだろうか。



