「宿屋の宿に草木の木、雲の雀で、宿木雲雀」
「宿木雲雀さんですね、分かりました。すごく綺麗な名前ですね」
今度はちゃんと漢字の発音で呼ばれた。のがなんだかおかしくって、しかも名前も褒められて、頬が緩んだ。
「そういう宿木さんは、わたしの名前憶えてますか?」
「……お、おう、若菜だろ。若い菜っ葉で若菜」
「名字は」
「……」
しまった、名字は分からねえ。みんな名前で呼んでるし……誰かひとりくらい名字呼びのやつはいねえのかよ。
「宿木さーん、藤宮さーん、そろそろかき氷作りますよ」
でかした春一!
あまりにも良いタイミングに、女はふっとふき出して「藤宮若菜です」と言った。
その横顔があんまり綺麗だったから、思わず見惚れて、すぐにその想いを打ち消した。丙さんに怒られる。
「行きましょう、宿木さん」
「……ああ」
なんだよこりゃあ。
丙さんとこの女がどんな出会い方をして、どういう経緯で一緒にいるようになったのか。そんなの知る由もないが。
丙さんはきっと、心配なんだろう。
このできた女に、例えば燈吾やこの間の男がうっかり惚れてしまわないか。
天使と人間では、時間の流れが違う。
俺たちは何十年も何百年も、何千年も生き続ける。霊力さえちゃんと保っていれば、同じ姿のまま。
でも人間は違う。何十年かそこらで老いて、死んでしまう。その短い期間の間に異性と出会って結婚して、子どもを産んで、家族を作らなくてはならない。
だから、この女が自分以外の誰かに惚れて、去って行くのがこわい。
つまりはベタ惚れってことか。
ベタ惚れなら、傷付けんなよ……。
尊敬する先輩だが、その行為には決して賛同できない。
ため息をついて、女のことを名前で呼んでやろうと決心した。
突然名前を呼んだら、女は一体どんな反応をするだろうか。
そして女と会ったことを伝えたら、丙さんはどんな顔をするだろうか。
俺は、吐いた息を吸い込んだ。



