遠くの光にふれるまで





 店長は昼番で九時に上がる。わたしは朝番で五時過ぎには上がったから、一度家に帰っても良かったんだけれど、帰ったらもう出て来たくなくなるんじゃないかと思って、店に残ってバックヤードの整理を引き受けることにした。

 九時過ぎにお店近くの居酒屋に行った。
 今日お休みだったクルミちゃんとツバキちゃんは、いつも以上に気合いの入ったメイクと服で、さすが若い子……と店長と顔を見合わせた。


 そもそも店長の目的は新しい男性との出会いではなく、記念日に会ってくれなかった恋人への抗議と憂さ晴らし。
 わたしの目的は人数合わせと夕食。
 最終奥義を使った店長に「行きますけどわたしの食事代は店長持ちでいいですか」と条件を付け、彼女はそれを呑んでくれたのだった。
 だから、仕事帰りの恰好で合コンに来ても、なんら問題はないのだ。



 男性陣はみんな同じ大学出身で、学校の先生らしい。
 男性陣の幹事が、店長の恋人の友人というところに、店長の悪意を感じた。


 乾杯をして、談笑をしながらごはんを食べた。
 みんなさすが学校の先生だけあって、子ども好きだし優しいし、包容力があるというかなんというか。

 わたしの隣に座った野分さんは、中学校で国語を教えているらしい。

 野分さんは自己紹介がてら、こんな話をしてくれた。

 先日、図書室で一冊本を選んで感想を書く、という課題を出したとき、源氏物語を選んだ生徒たちが「源氏物語に野分って巻があったんですが、先生も綺麗な女のひとを見て心が騒いだことはありますかー?」「野分って秋に吹く暴風って意味らしいんですが、先生は誰かの恋を引っ掻きまわしたことはありますかー?」なんて質問をしてきたらしい。

「最近の若い子はませてますもんね」

「ですね。僕が子どもの頃は、蝶々やトンボを追いかけていましたよ」

 野分さんが柔らかく笑って、わたしもつられて笑う。

「でも、みんな素直で良い子たちなんですけどね」

 そんなことを笑いながら言えるなんて、良い先生なんだなと思う。
 こんなひとが先生なら、生徒たちもすくすく育つんだろう。



 すっかり酔ってしまった店長を、男性陣の幹事が送り届けることになり、クルミちゃんとツバキちゃんは「用事がある」と言って、ふたりで夜の街へ消えた。
 男性ふたりも各自帰路について、わたしは、方向が同じということで野分さんに送ってもらうことになった。

 店長は心配だけれど、幹事さんの様子を見る限り、間違いは起こらないはずだ。
 しこたま飲んだみたいだし、抗議と憂さ晴らしという当初の目的は充分果たしただろう。


「なんかすみません、送ってもらっちゃって」

「いいんです。同じ方向なので、気にしないでください」


 ふたりで暗い夜道を行く。

 野分さんとは、中学生トークでわりと盛り上がった。
 野分さんのクラスの生徒たちにも、うちの店は人気のようで、よく店の名前を聞くらしい。そして放課後や休日、流れ作業のように店にやってくるのか。

 この間は背中に「剣道部」というキラキラした可愛らしいシールが貼られたらしい。
 それは完全にうちの店で扱っている商品だ。中高生がよく買って行く、部活動商品。

「剣道部の顧問なんですか?」

「そうなんです、中学高校と剣道部で」

 野分さんは竹刀を持つジェスチャーをしながら「でもめちゃくちゃ弱かったんですけどね」と付け加える。

「弱かったとしても格好いいじゃないですか、剣道。わたし帰宅部だったので羨ましいです」

「あ、でもこの間、帰宅部のストラップ付けている子がいましたよ」

「そうなんですよね、今は帰宅部でもグッズがあるんです。羨ましいです、」

 今の若い子たちは、と続けようとしたけれど、そんな風に言うと自分がすごく老けたように感じるから、途中で言うのをやめた。


「あ、あの、藤宮さん。今度お店に行ってもいいですか? 来月姪っ子の誕生日なんですが、何をプレゼントしようか迷ってて」

「是非。めちゃくちゃ丁寧に接客しますよ」

「楽しみにしてます」

「あ、でも生徒さんたちにばったり会ったら気まずいですね」

「あ、そっか、うわあ、どうしよう」

 頭を抱える野分さんを見て、思わず笑ってしまった。
 この人は本当に、柔らかい空気を持っている。