黒犬の魔獣が消えた後、メイファンはその場に座り込んだまま動けなかった。涙ぐみながら話すメイファンの肩を抱いて、ワンリーはこれまでの経緯を聞いた。

「シィアンというのは、暗黒の百年の間、魔獣に囚われていた門の娘かもしれないな」
「そうなんですか?」
「聖獣も魔獣も容姿より魂の波動と色で人を識別する。魔獣が人に会えるのは門が開いている時しかない。今回の数日間で人とそれほど親しくなるのは難しいだろう」

 確かに人は魔獣を見ると逃げ出すか敵意を露わにする。先ほどシェンリュも逃げ出してしまった。
 暗黒の百年からというと、あの魔獣は二百年くらいシィアンを探し求めていたのかもしれない。

「魔獣王にとって門の娘は大切な存在だ。知恵のない低級な魔獣に食われては元も子もない。そんな大切な門の娘に近づけるということは、あいつは魔獣の中では結構位の高い魔獣だったのかもしれないな」
「そういえば、私をさらった猿の魔獣があの魔獣を見ただけで逃げ出しました」
「そうか。それでおまえが無事だったなら、あの魔獣に感謝しなければならないな」

 かつて魔獣の都に囚われていたシィアン。どんなに悲惨な生涯を送ったのだろうと思っていた。でもあの優しい魔獣がそばにいたなら、少しは慰めになったのかもしれない。

 そう考えてふと思い至った。ガーランの言っていた亡くなった妻というのは、シィアンのことではないだろうか。
 望まぬ結婚でガーランの元に来て幸せではなかったという笑顔を見せたことのない妻。魔獣にさらわれて監禁されていたならそれも納得できる。

 けれどシェンリュの話では、ガーランは懐かしんでいたらしい。それがメイファンのことではないとすれば、魔獣王はシィアンを愛していたのではないだろうか。
 池の畔で見たガーランの寂しそうな顔を思い出す。人を惑わすのが得意だという魔獣王だが、あの表情は演技ではなく本物だったのかもしれない。だからといって、ガイアンに災厄をもたらす魔獣王を受け入れることはできないけれど。