これはもう、この魔獣に殺されてしまうのかもしれない。今まで出会った怪力の魔獣や魔獣王のように人の言葉がわかるわけではなさそうだし、話せばわかる相手ではない。それほど怒りの波動を感じた。

 絶望したメイファンの脳裏にワンリーの姿が浮かぶ。

(ごめんなさい、ワンリー様。来世は必ずあなたの妻になります)

 たぶん生まれ変わったら記憶はなくなっているのだろうけど、何度生まれ変わっても必ずワンリーに恋をする。これまでの門の娘がそうであったように、メイファンはそれを確信していた。
 メイファンが死を覚悟したしたとき、魔獣の動きが突然ピタリと止まった。目を合わさないようにこっそり窺うと、なにやら前方を注視して唸っている。
 メイファンもそちらへ目を向ける。すると霧の中から、のそりと黒い影が姿を現した。それを見てメイファンの目は一気に見開かれる。

 虚ろな赤い目で真っ黒な毛に覆われた大きな黒い犬。センダンの温泉に現れたあの魔獣だ。長いしっぽを口にくわえて、無表情のままゆっくりとこちらに近づいてくる。

 黒犬の魔獣が近づくごとに猿の魔獣は興奮したようにギャーギャーと大きな声を上げて威嚇する。見た目はおとなしそうな黒犬の方が力があるのだろうか。猿の魔獣がじりじりと後退し始めた。
 大騒ぎをしている猿の魔獣に反して、黒犬の魔獣は落ち着いた様子で静かに近づいてくる。やがて黒犬の魔獣が間近にせまってくると、猿の魔獣はメイファンから手を離して叫び声をあげながら空へ飛び立った。

 石畳の上に放り出されたメイファンは、体を起こして空を見上げる。猿の魔獣が霧の中に消えるのを見届けて視線を戻すと、目の前に黒犬の魔獣がいた。