崎田さんが所属する文芸部も、吉野くんが所属するギター部も、基本的には自由参加らしい。
 文芸部は部誌を作る時期まで各々作品を仕上げるため、ほとんど部室には顔を出さない。ギター部は部内でバンドを組んでいるひとたちが多くて、他校のひととバンドを組んでいる吉野くんら数名は部室で個人練習しているという。
 そんなふたつの部の部室はお向かいさんで、よくこうして雑談をしたり、吉野くんたちの演奏でカラオケをしたり、崎田さんが挙げたいくつかのテーマを元に曲を作ったりして遊んでいるらしい。

 羨ましいくらい楽しそうな放課後の光景だった。そしてわたしには縁遠い放課後の光景でもあった。

「良かったら中谷さんも何か歌ってく?」

 崎田さんがそう言ってくれたけれど、わたしはカラオケにも行ったことがないし、歌にも自信がない。丁重にお断りした。いや、不器用にお断りした。「い、いや、あの、その、わたし……いい、です、あの、すみません……」という、不器用で情けない断り方だった。

 それなのにやっぱり崎田さんは気にしていない様子で「気が向いたら遊びにおいで」と言ってくれた。なんて心の広いひとなんだ。

「崎田、無理強いすんなよ」無表情でそう言う吉野くんも、腕を伸ばしてわたしに楽譜を差し出したから、きっと、歌いにおいで、と言っているのだろう。

 今まで家族以外のひとにこんなに気にかけてもらったことはない。なんなら家族以外のひととこんなに話すのも初めてだった。
 ひととの会話がこんなに嬉しく、楽しく、つらく、もどかしいものだったなんて。

 うまく話せたらいいのに。せめてちゃんとした相槌が打てれば、会話らしくなるだろうに。話しているのはほとんど崎田さんで、吉野くんは口数は少ないけれどちゃんと的確なことを言っていて、わたしはたまに下手くそな相槌を打つだけ。
 こんなんじゃ、せっかく話しかけてくれたのに、嫌な気分にさせてしまう。でも一体、どうすれば……。

「中谷さんは今どんなものを作ってるの?」唐突に、崎田さんが言った。

「あ、ええと……その……」

 今はテディベアを作っている。でも手芸部は廃部の危機で。初めての会話なのに、そんなことを言ってもいいのだろうか。ただテディベアを作っているとだけ言っても、ふたりは手芸部で作っていると解釈するだろうから、近々廃部になってしまったらそれは個人的に作っているものということになってしまう。そしたらふたりは、わたしが嘘をついたと思うのではないだろうか。

 そんなことをあれこれ考えてしまったら、やっぱり答えられなくて……。

 答えられないわたしにも、やっぱり崎田さんは優しい。

「わたし個人的にはぬいぐるみ作ってほしいなあ。くまとか猫とか」

 それに対して吉野くんは「くまのぬいぐるみはテディベアっていうんじゃないの」と言って、崎田さんも「そんな鬼の首取ったみたいな顔しないでよ」と返して笑う。
 崎田さんには吉野くんのこの無表情が「鬼の首を取ったような顔」に見えるらしい。いつ視線を向けても、わたしにはどれも同じ無表情にしか見えないのに。

「良かったら今度見せてよ」

 そう言って笑う崎田さんの表情は、心から言っているということは分かった。