でも今のわたしなら分かる。

 遠出しなくたってお洒落な店で食事しなくたって、当人たちが幸せならそれで良いんだ。お兄ちゃんと桐さんだってそうだ。観光地やイベントに足を運ばなくても、ふたりのペースでゆっくり、楽しそうに過ごしている。夏は海、冬は山へ行って、休みの日には美味しい料理を食べに行きたいという気持ちは変わっていないけれど、毎週じゃなくていい。いつかできるであろう彼氏と、ふたりのペースを作っていきたい。

「遼太さんは今日もお部屋デートで彼女の手料理かあ」

「まだ彼女じゃないけどね」

「料理上手な人なんですか?」

「うん、まだ二回しか食べてないんだけど凄いんだ。おかずもスープも、この間はデザートまで作ってくれて」

「ええっ、デザートまで?」

「そう、手作りのなめらかプリン。美味かった」

「胃袋をがっしり掴まれちゃったんですね」

「そうだねえ」

 言いながらその人のことを思い出しているのか、遼太さんは目を細めてくすりと笑う。

「こんなこと誰にも言ってないんだけど。誰かのことをこんなに知りたいって思ったのは初めてで。だからそんな娘と出会えた俺は、幸せなのかもしれないね」

「惚気ですね」

 聞いているわたしが恥ずかしくなってしまうような言葉に、申し訳ないと思いつつも茶化さずにはいられなかった。それでも遼太さんは気にする様子もなく「惚気かもね」と笑ってくれた。

「遼太さん」

「うん?」

「素敵な人と出会えて、良かったですね」

「うん」

「お幸せに」

 心からの気持ちを伝えると、遼太さんは優しい顔で頷いた。わたしも心がすっきり晴れ渡るような気分になって、胸いっぱいに息を吸い込んだ。こんなに後悔のない失恋は初めてだった。

 そのとき背後で微かに「ぎゃっ」という声が聞こえ、弾けたように遼太さんが顔を上げる。つられてわたしも振り返ってみると、会社員らしき男女がいた。おとなしそうな女性と、からかうように笑う男性。あのふたりもこれからデートなのだろうかと思っていたら、遼太さんがわたしの名前を呼んだ。

「時間ができたらまた店に来てね」

「あ、はい、是非」

「じゃあ俺行くね」

「はい、また」

 にっこり笑った遼太さんが真っ直ぐに歩いて行った先は、あの男女の元。あの男女がデートなのではなく、おとなしそうな女性が遼太さんの相手だったみたいだ。

 あの人が、遼太さんが想う人。おとなしそうで、真面目そうで、しっかりしていそうな印象だった。あの人がいたからわたしの恋は叶わなかったのだけれど、嫌な気分にはならなかった。

 何やら今は、デートの相手が他の男と現れるという謎展開だったけれど、それほど気にもならない。見た目の印象もそうだし、さっき遼太さんから話を聞いているからだろう。毎日数え切れないくらいの人と会う遼太さんに「出会えて幸せ」と評される人がひどい人であるわけがない。そんな妙な安心感があった。

 三人の姿をしばし見守ったあと、腕時計で時間を確認して踵を返した。

 さあ、家に帰ろう。料理を習って、今朝干した洗濯物をたたもう。これから先、どんな人に出会っても胸を張って付き合っていけるような女になろう。






(了)