仕事を終えて足早に駅に向かった。今日はお母さんにハンバーグの作り方を教えてもらうことになっていた。

 この一ヶ月、部屋の片付けをしたり家の掃除を手伝ったり、洗濯も自分でするようになったし、料理も少しずつ教わっている。包丁の握り方から始まったお母さんの料理講座は、米のとぎ方、炊き方、卵の溶き方、食材の切り方と進み、卵焼きとお味噌汁は作れるようになった。もう一人でアスパラにベーコンも巻けるし、灰汁も掬える。一ヶ月前、野菜の皮すら剥けなかった頃に比べれば劇的な進歩だ。

 初めて一人で作ったお味噌汁の写真をお兄ちゃんと桐さんに送ったら、案の定お兄ちゃんは無視。桐さんは夜に電話で「小雪ちゃんやったね!」と喜んでくれた。

「柊さんもよくやったって褒めてたよ」

 桐さんに伝言を頼むとは。お兄ちゃんはどこまでもブレないな。

 まだ料理初心者のわたしがハンバーグなんて、ハードルが高いかもしれないし、一人で作れるようになるのは当分先かもしれないけれど、レシピくらいは教わっておきたい。

 忙しい日々だった。でも、楽しい日々でもあった。




 駅の西口、ペデストリアンデッキまで来たところで驚いて足を止めた。一ヶ月前に失恋した相手、瀬戸遼太さんが立っていたからだ。待ち合わせだろうか。まだ三月のはじめ。寒空の下じゃなく駅構内にいたらいいのに。

 声をかけるべきか迷っていると、遼太さんがわたしに気付いて右手をあげた。それなら遠慮なく話していこう。電車の時間までまだ少し余裕があるし、大丈夫だろう。

「お久しぶりです」

「ほんと。最近小雪ちゃん店に来ないから気になってたんだ」

「最近忙しくて」

「仕事? お疲れ様」

「あ、いや、ええと、恥ずかしいんですが、今更ながら家事をするようになって」

「そうなんだ、家庭的だねえ」

「この年まで料理も掃除も洗濯もしたことがなかったんですから、家庭的ではないですよね」

「あはは、そうなんだ」

 久しぶりの遼太さんに癒され、ますます家事を頑張ろうと思えるわたしはお手軽なのかもしれない。

「遼太さんは待ち合わせですか?」

「あ、うん、そのことで小雪ちゃんにお礼を言わないと」

「なんですか?」

「前に話した娘と会えたよ」

「へえ! 良かったですね! もしかして待ち合わせってその人ですか?」

「うん、そう。初デート」

「初デートですか。甘酸っぱいですねえ」

 わたしが失恋するきっかけを作った人との初デート。きっと少し前のわたしなら、耐え切れずにお兄ちゃんの元へと走っただろう。でも今は、かつて恋した人の幸せを、純粋に喜ぶことができる。これもまた、劇的な進歩だ。

「もう付き合い始めたんですか?」

「いや、まだ。その娘の部屋で何度かごはんご馳走になったくらい」

「遼太さん、それお部屋デートっていうんじゃないんですか?」

「あれ、やっぱりそう思う?」

「思います。実は初デート、もう済んでるんじゃないですか」

「うーん、だから今日は外で待ち合わせることにしたんだけど」

「ちなみに今日のご予定は」

「レンタルビデオ屋とスーパー行ってその娘の部屋かな」

「つまりお部屋デートですね」

「そうなるねえ」

 初々しいデートプランに思わずふき出す。