店内の時計を見上げると、二十三時五十七分だった。

 閉店三分前。明日まであと三分。

 少しの間そうやって時計を見たあと、手に持ったままのラベラーに視線を戻す。閉店作業は田中さんがしてくれているし、わたしはアルコール消毒済みの大量の本に値付けをしなくては。

 本を並べてガシャガシャガシャとテンポ良くラベラーを動かし、もう一度時計を見上げる、と。

「なにそわそわしてんの?」

 今日も六時半であがったのにこの時間まで残っている店長が声をかけてきた。今日はスタッフルームでカードゲームをしていたわけではなく、セールのポップ作りとラミネート加工をしていた。約六時間の残業で作業はほとんど終わったらしく、あとはもうそれを店内外に貼るだけだ。

「もしかしてこのあとデート?」

 店長のにやにや顔。意外とゴシップ好きだ。

「いえ、明日誕生日なので、なんとなく時間が気になってしまって」

「え、誕生日?」

「あ、はい、誕生日です」

「なんでもっと早く言わないの!」

 怒ったように声を荒げ、遅番で入っていたスタッフに集合をかける。

「明日崎田さんの誕生日らしいからみんなでカウントダウンしよう」

 そしてレジ横の電話を手に取り、受話器をカウンターに置いてスピーカーフォンに。聞こえてきたのは時報だった。それによるとあと約一分で明日になるらしい。店内にお客さんがいないのをいいことに、やりたい放題だ。

「はいはい崎田さん、もうすぐ誕生日なんだからもっと楽しそうな顔して」

 そうは言っても、勤務中にみんなの手を止めて祝ってもらうのはなんだか申し訳ない。レジのお金を数えていた田中さんも、品出しをしていた亜紀ちゃんも、ラベラーを手にしているわたしも、勿論ポップ作りをしていた店長も。わたしの誕生日を祝っている場合ではないのだ。

「そういや崎田さん何歳になるの?」

 店長が言った。

「二十三歳になります」

「ああ、そうだった。俺の五個下だった。田中くんは?」

「オレは二十七です」

「安藤さんは?」

「十九歳ですよ」

「あれ、そんなに若いの?」

「そうですよ」

「田中さんだって二十七でしょ。まだ若いじゃないですか」

「そうそう、若いですよ」

「オレより若い崎田さんと安藤さんに言われてもなあ」

「田中くん大丈夫、きみは若いよ」

「佐原さんオレの一つ上ってだけじゃないですか」

 そんな話をしていたら、いつの間にか明日が今日に変わったことを時報が知らせ、四人の「あ」が綺麗にハモった。


 十秒遅れで「誕生日おめでとう」と言ってもらい、その後急ピッチで仕事を終わらせ、いつもより少し遅れて店を出た。

 スタッフ出入り口の前で三人に挨拶をして、ゆっくり歩を進めながらバッグを漁っていたら、店長に呼び止められた。そこで提案されたのは、予想外の内容だった。

「何か欲しいものある?」

「はい?」

「誕生日プレゼント、欲しいもの」

「いや、いいですよ、そんな」

「崎田さんサービス残業したりコーナー作り手伝ってくれたりセールの企画考えてくれたり、色々頑張ってくれてるから。何かプレゼントさせてよ」

 正直に言えば、欲しい。プレゼントらしいプレゼントが欲しいわけではない。店長から貰えるものなら何でも良い。何でも嬉しい。百円ライターでも一口チョコでも、なんならその辺に落ちている小石でもいい。でも、わたしは何かを強請れる立場ではない。

「何でも良いよ、無茶なものじゃないなら」

 気持ちをぐっと抑え、店長を見上げる。いつも通りの優しい笑顔。いちスタッフであるわたしの誕生日を、心の底から祝ってくれているような、そんな笑顔。

 好きだ。この人が好きだ。たとえ叶わぬ恋だとしても、心の底からこの人が好きだ、と。言い切ることができる。

 だからわたしは、斜め前にあった自動販売機を指差した。

「え、ジュース? そんなんでいいの?」

「はい、のど渇いたので」

「欲がないなあ」

 店長は笑って、ポケットから小銭入れを出し、選ぶように促す。ミルクティーをリクエストすると「言うと思った」といつもの台詞と共に笑った。

 わたしにミルクティーを差し出すと、店長はすぐ自動販売機に向き直り、同じものをもうひとつ。そしてそれをわたしに向けた。

「二十三歳おめでとう、はい、乾杯」

「あ、りがとうございます……」

 ぶつけた缶のガツンという音が、深夜の静かな駐車場に響いた。

 店長から初めて何かを貰った。記念にずっと取っておけるものでもないから、形には残らない。だからせめて記憶だけは、一生頭の中に残しておこうと誓った。